翻刻
東京日々新聞 九百十二號
一蕙斎芳幾
武州 秩父(ちゝぶ)郡(こほり)芦(あし)ヶ
久 保(ぼ)村(むら)の農(のう)何某(なにがし)は沙魚(ざこ)を取(と)らんと
網(あみ)を携(たづさ)へ七歳(なゝつ)に成(な)りし児を連(つ)れ
て渓川(たにがは)に臨(のぞ)み小児をは川 岸(ぎし)に遊(あそ)ばせ置(お)き
己(おの)れは網(あみ)を打(う)ち入(い)れて彼方(かなた)此方(こなた)と漁(りやう)を
しつゝ歩(ある)行しに児は忽(たちま)ち声(こえ)を
揚(あ)げてアレとゝ様(さま)や蛇(へび)が坊(ぼう)を食(く)
ふよと叫(さけ)ぶゆえ駆(か)け附(つ)け見(み)れば小桶(こだる)
程(ほど)の蟒(うはばみ)か後(うしろ)の山より蜿蜒(のたり)いで
既(すで)に吾子(わがこ)を丸呑(まるの)みに△
△
せんとする勢(いきほ)ひなるにぞ側(そば)に有り
合ふ杉(すぎ)の丸(まる)木ををつ取(と)りて力(ちから)を極(きは)めてドツと
打(う)てば蟒(うはばみ)は忽(たち)まち草木(くさき)を推(お)し分(わ)けて
後(うしろ)の山へ逃(に)げ隠(かく)れしが此(こ)の小児(こども)は何の
替(かは)りし事(こと)もなく其(その)父(ちゝ)も煩(わづら)ふ事
などは絶(た)えてなかりしとぞ此の
網打(あみうち)は膽(きも)の太(ふと)き男(おのこ)なり