翻刻
大阪新聞錦画 《割書:第|四号》
武州小ヶ谷村の平左ヱ門といふもの常々(つね〳〵)
倅(せかれ)に云ふ 若(もし)予(われ)死なば嫁(よめ)と二人にて葬式(そうしき)
を取おこなひいまだ定まれる嫁もなけれは
婚礼(こんれい)は棺(くゎん)の前にてして呉(く)れと云しに明治八年
四月はたして平左ヱ門は頓死(とんし)せり彼の遺言(ゆいげん)を
信じ急に近辺由右ヱ門が娘を仲人を以て貰請(もらひうけ)
野送りの日は棺の前へ花嫁入込み歓(よろこ)ひやら悔(くや)み
やら高砂念佛のあへまぜ鱠(なます)妙な事があれば
有る物世に云ふ泣(なき)笑ひの放言(ほうげん)宜(うべ)なるかな遺言
も考へて云ぬと難義なことが出来ますと
読売百一号に出たり
文花堂誌
ホリトラ
本安板
本為板
小信改二代
貞信画