翻刻
【右丁】
終りぬ正次はしめ父にしたかつて御家人になされ長湫の戦に
よき敵とたゝかひ首を取て献り関東に うつりたまひし時
別に所領の地をたまひ《割書:千|石》そのゝち 父か家をゆつられ 《割書:五千|石》
慶長五年 三成か乱に 海道の御供して馳上り《割書:遊軍の|衆なり》
同き七年下総国にて所領加へられ《割書:二千|石》同十年四月廿六日叙爵し
《割書:家忠日記追加に 十四年|十月六日の事とす不審》十一年八月十一日 大番の頭となり《割書:家忠日記|追加に》
《割書:いつ諸役人系図|には十二年の事とす》大坂の兵はしめ起りし時は 関東の留守を
うけたまわりふたゝひ兵をこりしには将軍家にしたかひ手の
人々引具しかたきの多勢をうちやふり 元和三年所領の地
加へ給る《割書:千|石》同九年 大坂の城番をうけ給り河内国丹南の
【左丁】
地を給ふ《割書:都合一|万石》かしこを守る事凡八年寛永七年十一月
晦日卒す六十八歳その子主水正正成関ヶ原の戦の時山道の
御供しことし所領の地を給ひ《割書:千|石》大坂の戦ひの時将軍家に随
て高名をあらはしその賞として上総国にして地加給ひ
《割書:千|石》寛永三年十月三日叙爵して肥前守になり 父卒して
家をつき主水正になる同八年小田原の城を守る《割書:御城代と|いひし也》
九年十一月御書院番の頭となり十一年正月十一日大番の
頭にうつり十二年四月二日四十九歳にして卒すその子
主水正正弘慶安四年八月大番の頭となり 明暦四年
六月十二日卒《割書:ス》四十六歳その子主水正正盛寛文四年二月