伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・下) - 翻刻

藩翰譜(四・下) - ページ 38

ページ: 38

翻刻

【右丁】 手に属にける天正十年の冬徳川殿甲斐の新庄に御陣を めさる清秀主にしたかつてかしこにあり《割書:此時は和泉守殿|の代なり》高木 九助を御使として清秀をめさる清秀召にしたかつて 御陣にまいるやかて御家人にめし加らる《割書:千石を|たまふ》小牧の御陣に 軍奉行の事となり長湫の戦ひに清秀物見を承つて 馳帰徳川殿の御陣をすゝめしかは上方の軍こと〳〵くに やふれはしる小田原を攻られし節は武者奉行を給りことし 関東にうつらせ給ふて 相模国鰭【蛯の誤ヵ】名の地をたまひ《割書:五千|石》三男 正次に所領を給ふ《割書:千石正次 此時には|善次郎と申す》其のち清秀年老て致仕 しおのれか領に引こもる徳川殿御鷹狩の序にみつから 【左丁】 彼家にいたらせたまひものたまふ事度々に及ふ文禄 のはしめ朝鮮の事おこり 明れは二年三月の頃徳川殿 にも彼国にわたらせ給ふへしなとゝきこへしかは清秀 肥前の御陣にまいりむかふ徳川殿よろこはせ給ふ事なゝめ ならす太閤又此よしを聞 給ひ徳川殿の御陣に成らせ たまひし時清秀ならひに戸田三郎右衛門尉忠治を御前に召て 二人か年頃の功名を感し仰らる慶長五年奥の上杉を うたれし時清秀小山の御陣にまいり又宇津の宮の御陣に まいり御供の事を望み申す年いたく老たれはゆるし給はす して帰されたりとし四十五歳にして慶長十五年七月十三日