翻刻
十 巻(くわん)これをば妻(つま)の小弱木(こよろぎ)へ。また高蒔絵(たかまきゑ)の短冊箱(たんざくばこ)染付(そめつけ)の香炉(かうろ)惟朱(つゐしゆ)の香合(かうがふ)。また
一角(えかふる)をもて彫(きざ)みたる。筆架硯屏(ひつかけんびやう)を始(はじめ)とし。世(よ)にも稀(まれ)なる名器(めいき)ども。旦(かつ)御ン小袖(こそで)一襲(ひとかさね)。こ
れは小曽女(こそめ)にとらするとの。仰(おふせ)に三人(みたり)は額着(ぬかづき)て。その恩(おん)を謝(しや)し奉(たてまつ)り。蔀(しとみ)も御 次(つぎ)へ通(とほ)らせ
て。さま〴〵に饗応(もてなし)けり。かくて御 盞(さかづき)の数(かず)重(かさ)なり。君(きみ)にも酔(ゑひ)を催(もよふ)し給ひ。御機嫌(ごきげん)斜(なゝめ)なら
ざれば。三人の側室(そばめ)小弱木(こよろぎ)小曽女(こそめ)。音勢(おとせ)も今(いま)はうちとけて。盞(さかづき)数遍(すへん)めぐらすまゝに。そ
の程々(ほど〳〵)に酔(ゑひ)を発(はつ)して。声(こゑ)さへ高(たか)くなりもてゆけば折(をり)こそよけれと小弱木(こよろぎ)は。予(かね)て侍女(こしもと)に
分携(いひつけ)おきけん。琴(こと)皷弓(こきう)三味線(さみせん)を。持来(もちきた)りて後(うしろ)へおく。小弱木は恵しやくして。
〽始(はじ)めての御ン入(いり)に慰(なぐさ)めまゐらす品(しな)もなく。さこそ鬱悒(いふむく)おぼすらめ。不束(ふつゞか)なれど小曽女(こそめ)
事。いさゝか糸竹(いとたけ)を習(なら)ひ覚(おぼ)え。音色(ねいろ)をかしういたし侍り。御 慰(なぐさみ)にはならずとも。御 笑(わら)ひくさも
一興(いつきやう)と。御景色(みけしき)をもうかゞはず。是(これ)へ器(うつは)をとりよせ侍(はべ)り。苦(くる)しからずは一曲(いつきよく)を。お聞(きゝ)にいれ侍(はべ)
らんか。然(さ)はれ一人(ひとり)にてはその音色(ねいろ)も。静(しづか)に過(す)きて興(きよう)も薄(うす)し。御属々(おつき〴〵)の女中(ぢよちう)のうち何にまれ做(なし)
給はゞ。こよなう愛(めで)たく侍(はべ)るべし。といへば吉光(よしみつ)それこそ僥倖(さいはひ)。その相方(あひかた)は誰(され)にても。頓出(とくいで)よと宣(のたま)ふ
下ノ五