翻刻
【右帖】
軍兵あまた敵の陣にかけ入しにまきれて正貞か首取
敵もなく終に郎等にたすけられて引返すからう
して命いき出たり 其後御家人となつて寛永七年
五月十九日大番頭となり叙爵し慶安元年六月廿日
大坂の城番を承り所領倍し下さる《割書:もと一万石二万石|となる上総の飯野》
《割書:といふ所|を領す》身既に老ぬれは万治三年の冬請によつて
番役ゆるされて帰る 明る寛文元年十一月朔日七十
四歳にて卒す其子越前守正景父につく延享五年
七月八日仰かうふりて大坂の城番となり弾正忠になる
其子兵部少輔正祥
【左帖】
甲府
参議源綱重卿は大猷院殿贈大相国家第二の御男
御童名は長松丸慶安四年十月所領の地を参らせ
らる《割書:十五|万石》承応二年八月十二日従四位下左馬頭に
なされ同き年十月七日正三位の左中将にのぼり
たまひ寛文元年閏八月九日甲斐の府中の城
賜りて地くはへたまひ《割書:十万五石を|くはへらる》同き年十二月
廿八日参議に任したまふ中将はもとの如し御年
三十五にして延宝六年九月十四日に世をはやう
せさせたまふ御子三位中将殿御跡をつぎ給ふ