翻刻
【右帖】
させたまひし後将軍家御幼稚のうち天下政務の事
あづかり聞たまひき是は左大臣家の御遺令とも聞え
けり承応二年十月十三日正四位下右中将寛文九年
四月廿七日致仕同き十二年の十一月十七日六十四才にて
卒せらる嫡子長門守世をはやう去たまへは二男筑前守
正経家譲らる是より先正経従四位下の侍従になる
弾正忠源正貞は正直か三男徳川殿の御外甥なり元和
元年の夏大坂の兵ふたゝび起りし時本多出雲守忠朝
将軍家の先陣うつて上るに勢田の橋のほとりに
編笠まぶかく引こふて若党一人雑人二人つれて
【左帖】
立たる男あり忠朝をひかへて笠ぬき捨て是は保科甚四郎
正貞候兄か勘気かうふり軍に具せす候程にしのびてはせ
上つて候和殿の勢に加り軍せはやと存じて待請て
候といひしかはいしくも上り給ふものかないさゝせ給へと
打ちつれてのぼり足軽十人つけたり五月七日天王寺
の合戦に正貞まつさきにすゝみ小笠原信濃守に言葉を
かはしさきをかく忽に大事の手三ヶ所まておふて
馬よりおつ郎等敵を追はらひ正貞を肩に引
かけしりぞかんとするに又をきなをり鎗取て敵を
つきふせをのれも又鎗につらぬかれたふれたり小笠原