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此時江戸に御座しけるか久留米に置れたる
家老有馬内蔵介稲次壱岐有馬内記同主水《割書:后|号》
《割書:豊|前》等相談しけるは長門守殿御小身と云殊に
当年御在江戸な連は定而人数不足成扁し然
は大守御留守成共当家之御人数を分遣し島
原之城堅固成様に急に手遣有度事也去共豊
州府内《割書:越前少将|忠直配所》之御目付中ゟ兎角之仰なき
中に卒忽之出勢如何成者急き豊後へ使者を
遣し御下知を受ん与云所に豊州ゟ飛脚到来
して島原与天草両所之民謀り合て御文法に
背く彼一党退治之ゐに日来定置連る御軍役
之人数凡半を減し境目迄出し此方之下知可
待与之義也
別当杢左衛門覚書曰角蔵三吉等拾六人は島原
御籠城之翌日十月廿七日朝見せし免として
被致成敗事
島原一揆松倉記曰十月廿七日廿八日両日之内
に足軽中間家中召仕下々迄遂穿鑿一揆一味
之者共百四十壱人成敗春ると家老役事早々
能き所に心付無油断故に島原籠城無恙と家