翻刻
【右丁】
西土(さいど)より始(はじ)めて渡(わた)り。国民(くにたみ)病(やみ)て
死(し)する者(もの)多(おほ)かりしかば。稲目瘡(いなめがさ)と
よびて忌(いみ)恐(おそ)れし事(こと)酷(はなはだ)しと
なん。其頃(そのころ)曽我(そが)の馬子(うまこ)の父(ちゝ)稲目(いなめの)
宿祢(すくね)蕃神(ほとけ)を尊信(そんしん)したりし
故(ゆゑ)也とて。稲目瘡(いなめがさ)とはいひしと
かや。其後(そのご)敏達天皇(びたつてんわう)の十四年に。
【左丁】
此疾(このや[ま])ひ又(また)国中(こくちう)に流行(りうかう)す。《割書:此 間(あひだ)三十四|年を過(す)ぐ》
夫(それ)より聖武(しやうむ)天皇の天平(てんぺい)九年。
《割書:此間百五十三|年を過(すぎ)たり》其後(そのゝち)星霜(せいさう)はるかに経(へ)て。
一条(いちでう)天皇の長徳(ちやうとく)四年に大(おほ)きに
はやりて。納言(なごん)以上(いじやう)薨(かう)する者(もの)八人(はちにん)。
四位(しゐ)七人(しちにん)。五位(ごゐ)五十四人(ごじうよにん)。六位(ろくゐ)以下(いか)の
僧侶(そうりよ)等(とう)は。《振り仮名:不可滕計|あげてかぞふべからず》とみゆ。此時(このとき)