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コレクション: 愛知県豊橋市関連資料

豊橋商工案内 - 翻刻

豊橋商工案内 - ページ 229

ページ: 229

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(300) 録に依つて見ると、初めて建物(花火の一種)の大きなものが出来たのは元禄十三年の事で 長十三間幅三間半で其費用は廿四両かゝつたとしてある。旧幕時代には祭礼中本町の通行 を禁じ市街に於て打揚げたのであつたが、今は社前と豊川水上に於て行つて居る。又同祭 礼に要する本町の山車に幕の出来たのも元禄十六年の事であるとしてあるが、萱町から出 る笹踊の装束も元は木綿の浴衣であつたのを元禄に入つて絹更紗染に改め、其十七年に至 つて緞子のものが出来た様子である。それのみならず右の記録の中には其の頃笹踊を囃す 為めに大太鼓や小太鼓の打手の中に頗る名人の出来たと云ふ事か詳しく記してある。吉田 神社の祭例は毎年七月十三、四、五日の三日間であるが、吉田時代の風流を偲ぶ花火や笹踊 りは今尚ほ此祭日には盛んに行はれ、天下名代のものとなつて居る。此の外豊橋市に於け る年中行事として主なるものは、中八町県社神明社の鬼祭である。此社の例祭は毎年二月 十四五の両日を以て行はれ、俗に之を鬼祭と称へて居るが、其式は天狗の面をつけ土烏帽 子小具足を着けた武者が赤鬼を追ひ払ふのである。夫れが済むと神輿の渡御になる順序で 此神事は極めて奇なる祭であると云ふ事である。       附近町村を探ねて            豊川鳳来寺鉄道沿線…豊橋以西…豊橋以東…            半島方面…八名郡及下地方面…………………  我が東三河は古い歴史を有つて居る丈けに、今尚王朝以来の遺蹟を初め室町期即ち群 雄割拠時代の城塁並に古戦場其他武将の墳墓等が到る処に見受けられるのである、先づ豊 川鉄道の沿線では、小坂井町の東端に在る風祭で名高い菟足神社、次には徳川氏に葵の紋 所が起つたと云ふ由緒のある伊奈城址、牛久保では今川義元並に旧一色城主一色刑部少輔 の墓がある大聖寺、山本勘助の墓所で知られて居る長谷寺等があり、尚夫れから程遠から ぬ処に牧野民部亟【丞の誤植】成定の為めに建立した光輝庵がある。牛久保駅より僅か進むと豊川に達 するのであるが、此処には吒枳尼尊天によつて天下に有名な妙厳寺の稲荷と外に三妙寺の 名蹟と県立蚕業試験場豊川支場とがある。国幣小社砥鹿神社は一宮駅を去る三町許り東方 で祭神は大己貴命である、次は長山駅で砥鹿神社奥宮の鎮座する三河第一の高山である本 宮山へ此駅から頂上までは五十余町である、東上駅附近に牛の瀧あり直下六十尺、行路極 (301)