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―第四章 市政の沿革 七〇
第十五師団司令部に行啓賜謁の儀あり、順次各隊御巡覧の上御還啓仝午后一時、更に御出
門歩兵第十八聯隊に行啓御順路に於て、本市小学校尋常科第四学年以上の女生徒一千三百
余名の桜花遊戯を台覧遊ばされ工兵隊並に第四中学校へ行啓、仝日午后四時御還啓あらせ
られたり。仝日午后五時頃より尋常小学校五年以上の男生徒千五百余名提灯行列を行ひ、
渥美郡小学校生徒五百余名と共に御駐泊所前に整列万歳を三唱し外廊を廻り帰路につけり
殿下には翌二十一日午前八時十五分豊橋駅御出発御還啓被遊たり。△殿下行啓に先ち御巡
路に当れる道路急設工事を昼夜続行竣工せり。△十二月、東八町東端より、東田遊廓に至
る、八町線道路開鑿工事竣工す。
明治四十四年 一月十三日市
参事会員の補欠選挙及半数改選を行
ふ。△三月、札木角より柳生橋に至
る、大手線道路開鑿工事竣工す。△
七月、花田尋常小学校を花田町大塚
の地に改築移転す。△八月一日本市
市制施行五週年祝賀会を八町高等小
学校講堂に開く。市内各小学校生徒
提灯行列を行ふ。
【囲み内のテキスト】
豊橋市制実施五週年祝賀の歌
一、今橋城は昔にて 吉田の里も夢なれや
名を豊橋とよびてより 四十余年は過ぎにけり
二、市制布かれて五星霜 戸数一万五千あり
人口五万の余を数ふ 県下第二の大都会
三、十五師団を迎へては 市運いよ〳〵栄え来て
西に東に開けゆく 大路の数の果て知らず
四、白帆かゝげて上り来る 大船繁き豊川や
豊川線と官線と 並びて走る汽車の窓
五、見よや人々商工の いや栄ゆくこのまちを
祝へ人々繁盛の 末限なきこの市を
【図の説明】台覧桜花遊戯
【図の説明】新築当時の花田小学校
△仝月船町より牟呂吉田村東豊田に至る、牟呂吉田線道路開鑿工事成る△九月二十日、本年八月上旬の暴風被害者へ御救
恤御下賜金ありたり。△十月廿六日市参事会員の補欠選挙を行ふ。△十二月二十日、豊橋市立高等女学校々舎を旭町に新
築落成し、之に移転す。
明治四十五年 一月七日、大口市長辞任す。△仝月、松山尋常小学校を新設し、校舎
を花田町間田に新築落成す。△二月十二日、高橋小十郎氏市長に就任す。△三月、瓦町より
東田遊廓に至る、瓦町線道路開鑿工事竣工す。△四月一日、松山尋常小学校開校す。△五月
豊明舘前より停車場に至る新停車場線道路開鑿工事竣成し市の面目を一新せり。△仝月衆議
員議員選挙あり大口喜六氏当選。△十二月、前市長大口喜六氏へ本市より特別慰労金三千円
を贈る。△七月、伏見宮貞愛親王殿下特命検閲使として御来豊、札木町千歳楼に御宿泊あら
せらる。市民熱誠を以て歓迎し奉る。私立豊橋盲唖学校よりは、仝校概況一部献上したるに
仝十月一日御附武官橋本大佐を仝校へ御差遣の上金壱封御下賜ありたり。△仝月、市庁舎新築落成に付きこれに移転せり。
△仝月廿二日、聖上陛下御違例の趣御発表あらせられたるにより市民驚愕措く所を知ら
ず。高橋市長及福谷市会議長は市民を代表し、宮内大臣宛天機奉伺の電報を奉呈せり。
△陛下御不例の趣御発表以来、挙国憂懼に堪へず斎戒沐浴一向御平癒を祈り奉りしに其
甲斐もなく、七月三十日午前零時四十三分遂に御崩御あらせられ、皇太子殿下直に践祚
神器渡御式を行はせられたり。恐懼極り無し。△七月三十日市長及市会議長より別記の
通り電奏(市長議長仝文)△七月三十一日より大正元年と改元
【図の説明】豊橋市庁舎
【図の説明】市長 高橋小十郎氏
―第四章 市政の沿革 七一