翻刻
【右丁】
を聞(きゝ)皆人(みなひと)感(かん)じけるとかや
同(おなじく)暑気(しよき)を防(ふせ)ぎし例(ためし)の事
或年(あるとし)蚕(かいこ)庭前(にわまへ)より殊外(ことのほか)暑気(しよき)強(つよ)く南風(ようづ)にてほめきしかば国々(くに〴〵)蚕(かいこ)
大に傷(いたみ)しことあり或所(あるところ)の老人(ろうじん)至(いたつ)て賢(かしこ)き人なるが此 暑(あつさ)は格別(かくへつ)長(なが)きこと
にもあるまじと思案(しあん)を廻(めぐ)らし大戸口(おゝとぐち)に唐箕(とうみ)を出(いだ)し外(そと)より内(うち)え向(むけ)て風(かせ)
を入(い)れしかば此人の蚕(かいこ)は少(すこ)しも暑気(しよき)に傷(いた)まず上 作(さく)せしとなり又大 団扇(うちわ)数(す)
本(ほん)拵(こしら)へ置(おき)蚕棚(かいこたな)の間(あいだ)を扇(あを)ぎ廻(まわ)りしかばいたまず上 作(さく)せしとかや
庭(にわ)の居起手入(いおきていれ)の事 《割書:此寒暖七十五六度を中と極む|》
蚕(かいこ)庭(にわ)の眠前(ねむりまへ)にならば桑(くわ)を沢山(たくさん)に与(あた)へ不断(たへす)蚕(かいこ)桑(くわ)に放(はな)れぬように
すべし此 時(とき)よりは桑(くわ)を喰(く)うに随(したが)い厚(あつ)く与(あた)へ喰(くわ)すべし最初(さいしよ)掃立(はきたて)の時分(じぶん)
【左丁】
とは違(ちが)い陽気(ようき)も募(つの)るべし格別(かくべつ)暑(あつ)きと思(おも)はゞ四 方(ほう)の戸(と)を開(あ)け少(すこ)し風(かせ)を入(いれ)
ほどよくかげんすべし併(しかし)蚕(かいこ)の居(い)る所(ところ)は闇(くら)くなるようにし雲(くも)の通(かよ)い寒暖計(かんだんけい)を
見(み)てかけ引(ひき)すべし又 夕日(ゆうひ)のさし込(こま)ぬように気(き)を付(つけ)べし暑湿(しよしつ)に中(あた)りし蚕(かいこ)は
すきという病(やま)い出(いづ)るといへり此 節(せつ)桑(くわ)能(よ)く喰進(くいすゝ)み追付(おつつけ)責桑(せめくわ)となり又
休(やす)み桑(くわ)と見(み)えば随分(ずいぶん)手(て)ぬけなきようにし数遍(すへん)桑(くわ)を喰(くわ)すべし最早(もはや)眠起(ねむりおき)
も此 庭(にわ)ばかりなり此 節(せつ)性(せう)善(よ)き蚕(かいこ)は案外(あんぐわい|おもいのほか)に殖(ふえ)る故(ゆゑ)に半(なかば)起上(おきあが)りの時(とき)
網(あみ)をかけ手早(てはや)く取分(とりわけ)べし網(あみ)は数多(かづおゝ)く拵置(こしらへおき)蚕(かいこ)の乗(のり)たる侭(まゝ)次(つぎ)の居(い)
尻替(しりかへ)まで敷(しき)ごろしに居置(すえおく)なり始終(しじう)とも斯(かく)のごとし是(これ)よりは別(べつし)て上 桑(くわ)を
撰(ゑら)み手厚(てあつ)く与(あたふ)べし能(よ)き桑(くわ)を沢山(たくさん)に喰(くわ)せし蚕(かいこ)は繭(まゆ)厚(あつ)く糸(いと)正味(せうみ)多(おゝ)し
此時(このとき)別(べつし)て厳(きびし)く桑(くわ)を与(あた)へ後(のち)ほど厚(あつ)くふりかくべし起上(おきあが)り桑付(くわつけ)てより三日