翻刻
思(おも)へば最(いと)ど悲(かな)しさの、遣(や)る方(かた)もなく歎(なげ)きしが、長(なが)き終夜泣(よすがらな)き
明(あか)して、翌(よく)二十日とはなりたりけるに、果(はた)して兄弟(きやうだい)が亡骸上(なきがらあが)
りしと、其筋(そのすぢ)より沙汰(さた)ありければ、老母(らうぼ)は大(おほひ)に打歎(うちなげ)き遂(つい)に発(はつ)
狂(きやう)するに至(いた)りしといふ
○恩(おん)を謝(しや)する車載(しやさい)の金穀(きんこく)
深川高橋辺(ふかがはたかばしへん)に住(す)み土船(つちぶね)の船頭(せんどう)をなして、僅(わづ)かに今日(こんにち)を送(おく)る
一人(ひとり)の男(おとこ)あり、此日橋落(このひはしおち)し時(とき)、其身(そのみ)も水中(すいちう)に陥(をちい)りしかとも、兼(かね)
て水(みづ)に馴(なれ)たる者(もの)なれば、命恙(いのちつゝが)なきのみならず、一人(ひとり)は年(とし)の頃(ころ)
十八九才に今一人(いまひとり)は十四五才ばかりなる二人(ふたり)の女子(むすめ)をさ
へ救(すく)ひ揚(あ)げたり、扨(さて)その翌日(よくじつ)に至(いた)り、大(おほ)ひなる荷車(にぐうま)に、米俵及(こめたはらをよ)
び、金箱等(かねばことう)を積(つ)み重(かさ)ね、我(わ)が家(いへ)の内辺(かどべ)まで引(ひ)き来(き)たる者(もの)あり
けるに船頭(せんどう)は不審(いぶか)りて訳(わけ)を問(と)へば、これは浅草蔵前(あさくさくらまへ)なる伊(い)
勢屋(せや)某|方(かた)より、昨日姉娣(きのふきやうてい)の女子(むすめ)が命(いのち)を助(たすけ)られし洪恩(こうおん)の万分(まんぶ)
一(いち)を謝(しや)せんが為(ため)、贈(をく)り来(き)たるなり、今(いま)に主人(しゆじん)も後(あと)より参(まゐ)るべ
しとて、之(これ)を船頭(せんどう)が家(いへ)に入(い)れ置(お)き、車(くるま)の者共(ものども)は立帰(たちかへ)りし後(のち)、其(その)
主人(しゆじん)も来(き)たりて、其恩義(そのおんぎ)を謝(しや)したりといふ
○歓余(くわんよ)の悲(かな)しみ
何(いつ)れの辺(へん)の人なりけん、一人の老婆(らうば)、此日(このひ)三人の孫祭見(まごまつりみ)に出(い)
でゝ夜更(よふく)るまで帰(かへ)り来(きた)らざれは、老(おい)の常(つね)とて一|層(そう)に打案(うちあん)じ
只言(たゝい)ひ暮(くら)して居(ゐ)たりける中(うち)、不図(ふと)五|更(こう)の頃(ころ)、三人|共(とも)に恙(つゝが)なく
帰(かへ)り来(きた)りしが、老婆(らうぼ)は之(これ)を見(み)るよりも余(あま)りの嬉(よろこ)ひに耐(たへ)兼(かね)て、
終(つい)に気絶(きぜつ)し死(しゝ)たりしといふ(以上の三話は蜷川家の記録)
○怪童永代橋(くわいどうゑいたいばし)を渡(わた)る
八月十九日の朝(あさ)まだき、異状(ゐぎやう)の服(ふく)を着(つ)けたる怪(あや)しの小童(こわらべ)、只(たゝ)