翻刻
郎(らう)とて本年(ほんねん)八十四才になれる老翁(らうおう)より親(した)しく聞取(きゝとり)たる
所(ところ)の者(もの)なり翁(おきな)の言(げん)に拠(よ)れば其後彼(そののちか)の草履(ざうり)をば神前(しんぜん)に納(おさ)
めて之(これ)を祭(まつ)り来(きた)りしが或(あ)る火災(くわさい)の時遂(ときつい)に焼亡(せうぼう)したりと、
翁(おう)は一名(いちめい)を錦江(きんこう)と呼(よ)び人情亭(にんじやうてい)と称(しやう)し、元乾坤坊良齋(もとけんこんばうりやうさい)の門(もん)
人(じん)にして人情講談(にんじやうかうだん)を初(はじ)めて江戸(ゑど)に開(ひら)きたる人(ひと)なりとい
ふ而(しか)して最(もつと)も能(よ)く奇談(きだん)に富(と)めりと此夜翁(このよおきな)が予(よ)に語(かた)りた
る当時(たうじ)の奇談猶甚(きだんなほはなは)だ多(おほ)しと雖(いへど)も香水些(かうすいいさゝ)か思(おも)ふ所(ところ)なきに
あらざれば略(りやく)して他(た)は一も之(これ)を記(しる)さず
○河童庄助(かツぱしやうすけ)の働(はたら)き
鎌倉河岸(かまくらかし)に住(す)む庄助(しやうすけ)と言(い)へる者能(ものよ)く水中(すいちう)を泳(をよ)ぐを以(もツ)て人(ひと)
々(びと)綽名(あだな)を河童庄助(かツぱしやうすけ)とぞ称(とな)へけるが、橋落(はしをち)し時恰(ときてう)ど行(ゆ)き合(あは)せ
たれば其侭衣類(そのまゝいるゐ)を脱(ぬ)ぎ捨(す)てゝ水中(すいちう)に飛(と)び入(い)り当(あた)るを捕(とら)へ
ては救(すく)ひ揚(あ)げ救(すく)ひ上(あ)げして遂(つい)に九人(くにん)までを助(たす)けたりしが、
流石(さすが)の庄助(しやうすけ)も余(あま)り手足(てあし)に取付(とりつ)かるゝ事(こと)の多(おゝ)かりければ五(ご)
体疲(たいつか)れてその余(よ)は救(すく)ひ得(ゑ)ざりしとぞ(右深川柳川町の住鈴
木某の記録)
○義侠(ぎけふ)の壮男(ますらを)
四(よ)ツ谷|横町(よこまち)に鼈甲屋傳次(べつかふやでんじ)といへる者(もの)ありしが何(いづ)れの祭(まつ)り
にても出(いで)て家台(やたい)に乗(の)り、笛皷(ふえつゞみ)など打囃(うちはや)しけるが、此日(このひ)も霊巌(れいかん)
島(しま)より出(い)づる家台(やたい)に乗込(のりこ)みてありける処(ところ)、未(いま)だ永代橋(ゑいたいばし)の此(こ)
方(なた)に据(す)えたる時(とき)、彼(か)の橋崩(はしくづ)れ落(をち)たりしかば、傳次其侭家台(でんじそのまゝやたい)を
馳(は)せ下(くだ)り丸裸体(まるはだか)になりて水中(すいちう)に飛(と)び入(い)り、男女合(なんによあは)せて七人
まで助(たす)け揚(あ)げしが、其中(そのうち)一人の女橋杭(をんなはしぐひ)に取付(とりつ)きて妾(わらは)が命(いのち)は
助(たす)からすとも、アレあれなる妹(いもと)を助(たす)けてたべと、声(こゑ)を挙(あ)げて