翻刻
連(つ)れ来(きた)りて辛(から)き命(いのち)を助(たす)けやりたり、そが子供(こども)の親達(おやたち)は此事(このこと)
を聞伝(きゝつた)へて大(おほひ)に喜(よろこ)び、争(いか)でか小供(こども)の助(たす)けられたる大恩(だいおん)を謝(しや)
せざるべきと、其夜種々(そのよくさ〴〵)の物(もの)を齎(もたら)し、其(そ)が住家(すみか)を尋(たづ)ねゆき見(み)
れば、憫(あは)れむべし彼(か)の非人繁八(ひにんしげはち)には、余(あま)りの働(はたら)きに神(しん)を傷(やぶ)り
しにや、已(すで)に死(し)してありしかば、子(こ)を助(たす)けられし親達(おやたち)は大(おほひ)に打(うち)
歎(なげ)き、責(せ)めては菩提(ぼだい)の為(ため)にとて、其親達施主(そのおやたちせしゆ)となり、厚(あつ)く葬(ほふむ)り
て其後(そのゝち)も祭(まつ)りしてやりしといふ
○女子(ぢよし)の死尸(しかばね)
永代橋落(ゑいたいばしをち)し後(のち)、数日経(すじつへ)て房州(ぼうしう)の浦(うら)へ溺死(できし)の屍(かばね)二十ばかり漂(たゝよ)
ひよりしが、何(いづ)れも女(をんな)の尸(かばね)にて男子(をとこ)は一人(ひとり)もなかりしとい
ふ、又佃島(またつくだじま)も揚(あが)りたる尸(かばね)八十ばかりの内(うち)二十|程(ほど)は男子(おとこ)にし
て余(よ)は皆女子(みなをんな)の尸(かばね)なりしと(右二話小石川白壁町の住西川
川の記録)
○水色(みづいろ)の変(へん)
紀伊殿(きいどの)の伝医(てんゐ)、服部養庵(はつとりやうあん)といへる人(ひと)は、此日船(このひふね)にて橋(はし)の下(した)を
過(す)ぎんとしたる時(とき)、水色殊(みついろこと)の外(ほか)に変(へん)じて怪(あや)しければ、何(なに)か変(へん)
あるべし、我(われ)は越(こ)すまじといふに舟子(せんどう)は何事(なにごと)か候(さふらう)べき、渉(わた)り
玉(たま)へといふに、養庵(やうあん)は否(いな)とよ、気分(きぶん)も些悪(ちとあ)しければ舟(ふね)をかへ
し呉(く)れとて約束(やくそく)したる賃(ちん)を与(あた)へければ、舟□(せんどう)、舟(ふね)をかへしけ
ると間(ま)もなく橋(はし)は崩(くづ)れ落(を)ちて夥多(あまた)の人死(ひとじに)ありしと
○覚悟(かくご)の大切(たいせつ)
或諸侯(あるだいみやう)の藩士(はんし)某といふ者(もの)、橋上(けうじやう)を過(すぐ)る時人(ときひと)の押合(おしあ)ふ事非常(ことひじやう)
にして橋(はし)は殊(こと)の外(ほか)に揺(ゆ)らめき、且処〻窪(かつししよ〳〵くぼ)み抔(など)しける様覚(やうおぼ)ゆ
るにぞ、此橋今(このはしいま)にも落(を)ちなん、去(さり)とて後(あと)へも先(さき)へも行(ゆ)き過(すご)す