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《割書:永代|惨話》文化の夢付録
○西川(にしかは)某の記(き)に曰(いはく)、祭前(まつりまへ)に於(おゐ)て川手前(かはてまへ)の町〻(まち〳〵)相談為(さうだんな)し、永代(ゑいたい)
橋(はし)は橋造(はしつく)りも甚(はなは)だ粗(そ)ざつなりければ、祭(まつり)の折柄大勢群集(おりからおほぜいぐんしふ)せ
ば危(あや)ふからん、因(よツ)て橋板(はしいた)の下(した)へ通(とほ)して竹(たけ)の簀子(すのこ)を渡(わた)さば、仮(たと)
令橋破(へはしやぶ)れたりとも人(ひと)に怪我(けが)なかるべしとて、そが費用(いりめ)を積(つも)
らせければ、金(きん)四十|両(りやう)を要(えう)するといふ、故(ゆゑ)に之(これ)を川手前(かはてまへ)の町(まち)
〻(〳〵)より二十|両(りやう)、川向(かはむかふ)の深川(ふかがは)にて二十|両出金(りやうしゆつきん)し、橋(はし)を修繕(しゆぜん)せん
事(こと)を深川(ふかがは)の方(かた)へ相談(さうだん)に及(をよ)びける所(ところ)、其費用出来難(そのひようできがた)しとて破(は)
談(だん)となりしと
○同上の記に曰、憲廟台命にて橋出来(はししゆつたい)す、受負人(うけおひにん)は其頃定小(そのころじやうご)
屋小買物方請合(やこがひものかたうけあひ)、松屋(まつや)十|太郎(たらう)、紀国屋吉兵衛(きのくにやきちべゑ)なり、其節上野中(そのせつうへのちう)
堂建立最中故(だうこんりうさいちうゆゑ)、右両人請合金高(みぎりやうにんうけあひきんたか)は知(し)れ不(まを)_レ申(さず)、中堂残木(ちうだうざんぼく)をつか
ひて思(おも)ひの外(ほか)、元金入不(もときんいりまを)_レ申橋出来(さずはししゆつたい)して両人(りやうにん)の利益(りゑき)壹万貳千
両宛(りやうづゝ)、取(と)り候由(そろよし)、我(われ)も其祝(そのいは)ひの振舞(ふるまひ)に九(こゝの)ツの時行(ときゆき)ぬ、今(いま)は跡方(あとかた)も
なし《割書:(請負人金吹町紀伊国屋吉兵衛、亀井町松屋十太郎たる|事は分り居れども文中我とさせしはいかなる者か端》
《割書:本の内に記録せしゆゑ|誰人の言なるや未詳)》(右原文の侭)
左之(さの)一|書(しよ)も杏花園(きやうくわゑん)といへる人(ひと)が、夢(ゆめ)の憂橋(うきはし)と題(だい)したる記(き)
中(ちう)より抜記(ばツき)する所(ところ)なり、前後書(ぜんごが)きさへなきもの故(ゆゑ)、実(じつ)に漠(ばく)
然(ぜん)としたる事(こと)なれども、先(ま)づ朅(かゝ)げて世人(せじん)の参老(さんかう)に供(きよう)する
なり
永代橋受負人
深川中島町家主
忠右衛門卯五十二歳
平右衛門卯四十九歳