翻刻
打(うた)れたるこそ憐(あは)れなり今(いま)温泉(ゆぜん)社内(しやない)なる十
二|俣(また)の大角(おほつの)は此鹿(このしか)なりと云(い)ふ浴槽(よくさう)を
開(ひら)きて後(のち)も鹿湯(しかのゆ)と唱(とな)へしを喜連川御所(きつれかはごしょ)の
入浴(にうよく)ありてより御所湯(ごしょのゆ)と改(あらた)めしとたん此(この)
町(まち)は家数(やかず)廿六|戸(こ)両側(りょうがは)に物品(しなもの)を商(あきな)ふ店簷(みせのき)を
連(つら)ねて住(じゅう)す内客樓(うちやどや)は角屋(かとや)。茗荷屋(めうがや)。中會津屋(なかのあひづや)
永楽屋(えいらくや)。鈍子屋(てふしや)。會津屋(あひづや)。稲屋(いねや)。那須屋(なすや)。米屋(こめや)。萬屋(よろづや)
常陸屋(ひたちや)。の十一|戸也(こなり)皆(みな)相応(そうをう)なる家屋(かおく)を構(かま)へ
二|層(そう)あり三|層(そう)あり中(なか)には内湯(うちゆ)|抔(なと)を設(まふ)けて
目立(めたつ)|普請(ふしん)も多(おほ)かりき此處(こヽ)は塩原山中(しほばらさんちゅう)|人家(しんか)
稠密(ちうみつ)の場所(ばしょ)にて門前(もんぜん)より續(つヾ)き恰(あたか)も宿驛(しゅくえき)の
趣(おもむき)を為(な)せり是(これ)より會津若松迠(あひづわかまつまで)|行程(みちのり)七|余里(より)
新道(しんどう)開鑿(かいさく)以来(いらい)運輸(うんゆ)の便殊(べんこと)に宜(よろ)しくさしも
嶮(けは)しき山王峠(さんわうとふけ)も車(くるま)を下(くた)らすして往復(わうふく)する
に至(いた)る故(ゆゑ)に入湯(にうとう)に来(きた)る客(きやく)のみならす往還(わうくわん)
の旅人(りょじん)も温泉(おんせん)に浴(よく)して足(あし)を止(と〲)め馬(うま)に駄(だ)し