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コレクション: STAGE2

土佐古今ノ地震 - 翻刻

土佐古今ノ地震 - ページ 22

ページ: 22

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 (一〇七)湊  潮は田丁残なし田苑海に没す(陥没地(○○○)の第十六)  (一〇八)宿毛 亡所潮は和田の奥、牛の瀬川を限る田苑は海に没す(陥没地(○○○)の第十七)          右国中潮入在々所々山迄打詰たる潮三分一は速に減じ三分二は定潮と          なる凡潮及ぶ所の田畠は尽く永荒となり餓莩野に満んとす可悲可悲 前文を概括すれば全国沿岸中地面の隆起陥没左の如し  高知以東土佐国半分の海岸    隆起地(○○○)  一(○○)ヶ所(○)  高知以西土佐国半分の海岸    陥没地(○○○)  二十一(○○○)ヶ所(○)(《割書:上文は一場所ニ数|村ヲ連記セルアリ》)     市街ノ陥没セルモノ 六ヶ所     田苑ノ陥没セルモノ 十二ヶ所     地面ノ陥入セルモノ 三ヶ所 上文死人の数を記す素より大数に過ぎす谷陵記に曰く  凡国中潮入所々溺死する者五人十人或は廿人なき不能種崎、宇佐、福島、須崎、久礼の  大を書し少を書せざるは事繁なればなり 又地震海嘯共沿海に烈しけれど内地と雖も損害なきにあらず谷陵記に曰く   山分山々にて大岩共崩れ落る事其数知れず山分にては山石落かゝり死する者其数多し   といふ  然れば当時の損傷は国中内外の別なく一面に普かいしも海岸は殊に人口の多き所にて海嘯  の難さへ添ひければ其被害の光景別して悲惨なりしなり  偖て按ずるに宝永地震に土佐国の地盤は東部は稍昴起の傾あり然して西部は其の陥没沉下  せる有様尤も顕著たり又後の安政地震に見るも同一の傾向あり前後二回の例巳に此の如く  なれば【傍点始】土佐国の地盤は東高くなり西低くなるといふこと其の地盤安定上自然の傾向なる【傍点終】が  如し是に由つて之を考ふれば一千余年前白鳳大震の時土佐国の大地十万頃 (方一里余) の陥  没を見しといふは矢張り其の沉下の傾向ある西部の地面と見る方尤も妥当にして口碑伝説  を雜つて之を考ふれば大凡【傍点始】今の高岡郡方面の海岸に当るならん【傍点終】と(高岡郡に陥没地の口碑  伝はること第一章に説明せり) 推定するも強ち牽強付会といふべからざるに似たり      (己) 大震損害の高 大震後二十日即宝永四年十月二十四日時の土佐藩主山内豊隆君より家老山内規重を以て幕 府に訴へ出でしめ当国大震損害の高大凡左の如し     国中損毛覚   一流家     一万百六十七軒 寺社共