翻刻
安政元年の地震宝永四年の地震に較ぶるは其震力稍軽かりしが如し宝永の地震は記録に人
を転すこと丸き物を投ぐるが如しといふ程の事実を書留めたるも安政度には其程の記載な
し然れど素より大震の事なれば上下動縦横動並び発し其勢力の凄ましかりしは流石なりし
が如し
三災録に曰く
蓮池町東一町の内酒店中内屋利兵衛が門の甫手柱大地に已と抜け出で倒れたりとぞ是等
もさびあげてゆるも有なりと現に見たるもの話りぬ
是一部の地には上下動をも強く感じたる実例といふべきか又三災録に仝所近傍新市町に損
害の悲惨なりし有様を述べて曰く
震の道に当りたるにや数市町三町の四辻殊に甚し戌亥なる道具屋は主従男女七人未申の
古手屋は主従男女六人丑寅なる酒屋は主従男女四人辰巳なる薬屋二軒主従男女九人潰れ
家に打たれ都合二十六人即死す外輪往来の者も数人並馬一疋打殺されぬ総して此辺死人
怪我人多かりしと聞きぬ
震の道とは地震の中心の意味なるべきか兎に角|十字街道(○○○○)の四辻点に於て【傍点始】一時に二十六人の
圧死【傍点終】とは田舎市街には珍しき惨禍にて其辺一体に震動の激甚なりしものと伝ふるは宜なる
見解といふべし
又同地震経験者の話によれば田舎村落の水田にて田水の氷結し居りたるもの此大震の為め
揺り動かされぼらぼらに砕けて両側周囲の畦道等に打ち上げられたるもの沢山ありしとい
へり是又地震の縦横動非常に激烈なりしを証すべき一材料なるが如し
すべて地震計なき時代の震力の研究は覚束なき記録口碑を集めて其大略を窺ふに過ぎざる
は已むを得ずといふべし
安政地震は十一月五日大震の後小震数年に渡り已ざりし由なるが今、谷脇茂実が此数回又
数十回の大震小震に就て観察したる震力並震様の有様を其著地震日記より抄出すべし
余は老体無用の身にて震のゆり様に気を付て見れば時々模様の違ふ事あり
(イ)始に荒く来りて後にゆらつくあり
(ロ)又始ゆら〳〵来て後強き震り
(ハ)又一ト突に突来るもあり
(二)又地の底よりさび上るもあり
(ホ)地がゆりても空はゆらぬかと思はるゝことあり
(ヘ)又空は強くゆるも有らしく又空のゆり軽からんと思はるゝは飛行鳥にて知られ又
飛び得ずして地に落つるもあり
地震に就て此の如き有益の経験を積みたるは昔時にありては珍しき事なり