翻刻
地方の記録のみ見て絶対的に正確動かすべからざる断定を下すべからざるは素より論ずる
迄もなく殊に実地の目撃とはいへ地震学の智識に乏しき古人の事なれば其視察が多少正鵠
を誤り居る事これあるやは保し難けれど兎に角一体記載の有様にして自然有力参考の価値
あるべきことは余の信じて疑はざる所なり
先、地震の性質に就て参考すべきといふ一説を録せん第一は十一月五日の大震に津浪入来
の事を記せる三災録の記事なり其文に曰く
大震に恐れ浦戸町堀川より南は残らず唐人町河原に遁れ出で障子唐紙屏風幕などをもて
川尻を囲ひ安坐す東西より遠望すれぼ四條五條の川涼を見る如く風流にありしとなりか
ゝる所に酉の上刻東に当り津浪打入ると呼ぶ間もなく震動の音して潮高倉になりて溢来
るを見れば《ルビ:見馴れざる軽石など沫の如く真先に押入り来|○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○》り思ひも不寄寝耳の水なりと狼
狽へ取物も不取敢又此所をも我先にと逃出る云々
是により之を見れば安政度の地震は尋常地辷等の余響を受けて海水の大簸蕩を起せる波浪
にあらで寧其源因は《ルビ:海底火山の破裂にかゝり波上に夥しき軽石を浮べて高潮と共に内陸に|○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○》
《ルビ:進入したる者の如し|○○○○○○○○○》抑軽石は火山の噴出に係り其密度の疎鬆なる為め水上に浮ぶは今日に
在りては小学生徒と雖も知らざる事なき簡易の事実なり偖安政度の地震に『潮高倉になり
て溢れ来るを見れば見馴れざる軽石など沫の如く真先に押入り来り云々』といへるはやが
て其地震の性質軽石と密接の関係ありて或海底の火山の変これを来せりと断ずへき面白き
証拠ならずや否らざれば若此地震をして普通の地辷的のものならしめば何ぞ其潮の最先に
沫の如く夥しき軽石を含むの理あらんや且又考ふるに安政元年十一月五日の土佐大震の前
一日即同十一月四日伊豆下田沖等に大地震あり其海水簸蕩の有様一再にして止まらず蓋其
《ルビ:両日間は或は日本南面の海底に横はる火山脈中に異動を生じ一所又各所に於て鳴動破裂地|○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○》
震津浪の交も驚くべき一大現像を発せし者にあらざるかと考へらる
次に該地震の性質に就て参考すべき第二説を記ぜんそは土佐国西端の海島、沖島に藩より
出張せる官吏一円嘉平次が震後目撃の事実を報ぜる書状より其文に曰く
扨又 沖鳥(○○) (柏島より西方)《ルビ:の近辺に当り海上より真黒き雲と片面は火炎の燃る様に火と雲|○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○》
《ルビ:との気立ち登り|○○○○○○○》実に二た目とは見られず恐敷気色とも何とも申すべき様なく云々・・・・
翌々七日四つ頃迄震動絶間なく五日の夜凡三十度程は数へ候へども後には数も知れ不申
候《ルビ:時々鳴動西方角に当り|○○○○○○○○○○》百目程の筒音の様に鳴るや否や地震は付け合にて云々
是に由り之を見れば地震の際には土佐西方の海上に半面黒色に半面は爉ゆるが如き火雲気
立登るあり或は全方角海上に時々砲声の如き響あり否や地震を感ぜしは殊に注意を引くべ
き事実なりといふべし
抑柏島より沖島の方向に一直線を引き之を延長する時は日向の方向に達すべし今此文に由