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コレクション: STAGE2

土佐古今ノ地震 - 翻刻

土佐古今ノ地震 - ページ 34

ページ: 34

翻刻

       内損田一万四千百廿一石三斗         汐浸七千四百九石五斗余   一亡所四ヶ所 其外船舶、器械、道路、物産の損失は枚挙に勝へず今皆之を略す 案ずるに安政の地震は日没前午後四時に起りたる地震にして人民が難を避くるに最都合よ き時刻たりしは宝永の地震に異なら然れども女子は何時とても天賦弱性の者にて危難に際 して狼狽溜めに逃脱の機を失ふ少く其死傷の多きを認むるは己むを得ざる事といふべし試 に此大地震の死傷男女一切の統計をなせば   死人怪我人合計五百五十二人    男百六十九人 (内死人九十六人)    女三百八十三人 (内死人二百七十六人) 即女子の死は男子の二人に三倍し其傷者は殆ど二倍弱となり然して死傷全員の中死人は殆 ど其十分の九たる惨数に達せるなり      (癸)紀念物 安政地震の後幡多郡以南中浜に紀念碑を建つる者あり其文左の如し 一嘉永七寅一一月五日大地震静否浦々大潮入流家死人夥 一大地震の時は火をけし家を出る事第一なり家にしかれ且焼死多し 一前日より潮色濁り津浪入並に井の水濁り或は干かれる所も有り兼て心得べし   一是時諸人悲歎難盡言語仍而溜後世謹建之    干時安政三年甲卯三月     幡多郡以南中浜浦   池道之助清徴 又吾川郡浦戸稲荷坂に同上の紀念碑を建つ者あり其文左の如し   安政元寅十一月五日大地しん津浪入後世人大地しん有時は津浪入と心得べし               大黑屋嘉七郎建之 今皆現存す其他国中に吾人の見聞の及ばざる所此類の石猶多かるべし是又大震研究の一材 料なり        (子) 安政二年の江戸地震 安政元年十一月四日五日大地震大津浪の事は已に前章に述べ盡したり然るに安政二年十月 二日夜に江戸に於て又絶大の地震あり其惨害幕府開始以来の事なりきといへり世人稍もす れば安政の東国地震といへば右の元年十一月四日と二年十月二日の《ルビ:両回大地震を年号の同|○○○○○○○○○○》 《ルビ:じとき時代の近寄りたる為め誤り混じて一回の地震となし|○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○》これを書上に伝ふる者あるに至 りては粗漏の極と謂ふべきなり