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コレクション: STAGE2

土佐古今ノ地震 - 翻刻

土佐古今ノ地震 - ページ 35

ページ: 35

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抑、安政元年十一月の地震は東国の地に於て地震より強く津浪を感じたる者にて伊豆下田 に於て露艦の破損せし等名高き歴史的地震なり安政二年の地震は東国殊に江戸に於て最激 烈の地震を感じ死傷火災の損害枚挙すべからず殊に有名なる水藩の名士藤田東湖、戸田 忠敬の二人が圧死せしは世人をして聳動惜く能はざらしめ是又歴史的忘るべからざる震害 なり今安政元年十一月五日の土佐地震を記し終るに当り一言次回の地震に其説明を分ち世 人が地震混淆の誤を正さんと欲す 抑安政二年の江戸地震は十月二日(○○○○)の夜四ツ過今の午后十時(○○○○)頃に発せしものにて其損害の惨 憺は素よりいふをまたず将軍家の西城、諸侯の邸宅偖は庶民の家まで就れも大破を蒙らざ るを加之失火一時に五十余所に発し三日三夜の焼通しにして名ある上下の建物等は一時灰 燼鳥有に帰し死者の数殆二万五千人に達せり倍其翌三日には緒形皆登城して将軍の安否を 問ひしに将軍家よりも又其翌四日に非常の英断を以て災にかゝる大名が此度限り勝手に帰 国を許さる旨の命を発せられたりき明暦三年の大火後江戸の町に於て此の如き一時著大の 損害を被ふりし事実は記録上未曾て無き所たり 然れど此大地震が前年度なる安政元年の大地震に直接間接の関系連絡を有せるや否やは別 問題となすも今は唯世人が大震を研究するに当り安政元年の西国地震を知りて同二年の江 戸に心付かず又同二年の江戸地震のみを知りて前一年の西国大震を知らず甚しきは其の両 者を混同して同一地震となすに誤に陥るものあるを遺憾とし蛇足ながら此に一章を付加し てこれが説明を付加すといふのみ       附録 第五、明治三十二年大暴風      (甲) 総説 抑我日本島は自然の位置より大風大雨の災害を被ること殆恒例にして古来歴史上其著名な る者の記録を留むる例少しとせず中にも土佐国は南方の国とて其災害を受くる時機別して 多ふして且其被害の分量亦従ふて重大なるは是又世人の一般に認知する所たりされど彼の 尋常なる暴風暴雨が時々来襲して多少の損害を国中に与ふる如きは殆年々恒例の事にして 今事々しくこれが記載を試みしも殆無益の業たるべし 然るに明治三十二年八月二十八日(○○○○○○○○○○○○)此国を吹き過ぎたる大暴風は其勢力極めて激烈に素より 損害の高も無算に凡此国に在りて古老の経験はいふ迄なく記録上にも未曾てあらざりし程 の大風災なりきすべて古来の大天災といへば纔に歴史口牌によりて其有様を窺せしが今、 面のあたり之を見るに及びては洵に自然の勢力驚くべきこと言語にも筆紙にも尽し難きも のあることに感じたりき 蓋其天災の性質よりこれをいへば素より地震津浪と異に死人の数等は幸に少数に出でざり しとはいへ流家、潰家、荒地、倒木等の損害は実に莫大にして父老の話には安政大震以後(○○○○○○)