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コレクション: STAGE2

土佐古今ノ地震 - 翻刻

土佐古今ノ地震 - ページ 37

ページ: 37

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案ずるに高知県に於ける平均一年の雨量は大数三千粍と称せらとゝも精確に之を計算する 時は先二千八百粍内外なり同三十二年の暴風中七月八日九日の二日間に三百十四粍の降雨 量ありしとなす時は実に平均一年中雨量の十分一余は其時に降りしものにして其大水溢出 の惨況を来せしも亦至当の事なりきといふべし蓋一秒時間に三十米余の風力、一日中に一 百五十粍余の雨量は本邦孰の地に在りても随分勢力の鋭き暴風雨の一と算せらることは蓋 余が一人の私論のみにあらざるべし 九日の暴風雨につき水害の最惨なりしは高岡郡中島村なりそはニ淀川の水量漲溢の為め堤 防数百間の破壊ありて附近の人家十八軒は全然水底に浸され其外人家は床上六尺余の浸水 に及び男女老若の溺死すべて九名に及べり 次に高知市近傍に在りては鏡川出水非常に夥しく唐人町人家の床上浸水は素よりいふま でもなく午前九時より十時の間には同川の水面も最漲の高に達し其水嵩は確かに防水堤防 の上に出で諸所の越戸は溢水、瀧津瀬の勢もて打越したりしかば警吏市吏有志者等は必死 の尽力もて東西に奔走し古畳土俵を積立て漸く其水越を堰きとめたりき 蓋当時高知市内に在りて下町一円は皆浸水を被り浦戸町、弘岡町、九反田、新町東部等は 孰も深三尺程にて其外浸水の町々一体は皆網船屋形船を乗り廻し婦女老若より家財を積み 彼地此地に往き来する有様は憐れにも亦珍らしき光景なりき当時浸水の甚しかりし一証は 納屋堀より船を入れ浦戸町堀詰より本町を上一丁まで遡り中島町弘岡町通り元の所に漕ぎ かへれりといふ奇談あるにて思ひ合すべし然れど白昼の事なれば怪我、死人の無かりしは 洵に仕合なりき兎に角かゝる大水は近年稀有の事なりきと古老の物語なりき 翌三十三年高知市は当時の水害に鑑み後難の為とて鏡川沿岸の堤防を《ルビ:平均二尺築上げ又|〇〇〇〇〇〇〇〇》人 民が擅まゝに堤塘空地に桑茶を植へ土砂の開墾をなすを禁じたりき      (丁) 八月廿八日の大暴風概況 明治三十二年八月廿八日は同年中土佐国に感じたる第二回目の大暴風雨日なり其風力の強 大なりしと損害の夥多なりしとは凡当国に在りて前代未聞の事と称せられ実に本篇に記載 さるべき主眼の暴風は即是なり 今其学術上に基ける詳細の事実を茲に述ふるに先ち先、本章に於て余が当日実地上に目撃 したる通俗的景況を録し其光景の如何に惨悽なりしかの一端を読者に早觧せしめん 抑暴風の当日たる八月二十八日の朝早きより小雨粛々と降りしきり多少雲行の急速なるこ とありしと雖も元来例年の秋季二百十日を数日後に控へたる事とて天候の聊か穏かならざ る位は先、有り勝の事なれば格別の注意を引くこともなく其日を打ち過したりき 火を点じ読書をなし居りしが午后七時と覚しき頃忽然猛烈なる暴風颯と音して吹き来りあ