翻刻
廿(十月)八日 一 四 八 一一三 一二六 七五三、七 一三、四
廿九日 ー 七 一〇 一六八 一八五 七五五、〇 一六、二
三十日 ー 四 五 八四 九三 七六一、四 一二、六
卅一日 ー 三 五 七一 七九 七六五、一 一二、〇
一日(十一月) ー 四 一六 三六 五六 七六二、三 一三、六
二日 ー 五 六 一九 三〇 七六四二、 一三、三
三日 ー 一 四 三六 三一 七六三、七 一二、一
四日 ー 二 四 一四 二〇 七五九、一 一四、一
五日 ー 一 三 三 七 七五四、五 一四、二
合計 一 三一 六一 五四三 六二七
但し廿八日の割合(わりあひ)に少数(せうすう)なるは初度より其日午後一時迄は絶(た)えず震動(しんどう)して殆んど数
を算(さん)すること能(あた)はざりしを以て十一時間のものなるに由る
右強震の度毎(たびごと)に市民は孰れも周章(しうしやう)して戸外に逃(のが)れ出るなど騒動(さうだう)云はん方なし去れど六
日以後は追々《ルビ:震動|しんだう》の数を《ルビ:減|げん》じ上下動の如きは絶(たえ)て之なきに至りしかば人々漸く安心(あんしん)し
て家業に就(つ)くを得たりとぞ
編者附て云ふ大地震ありし後は引續(ひきつゞ)き小震動(せうしんだう)を生ずるものにして其の例(れい)は巻末に關
谷博士の示(しめ)されたるが如し偖(さて)此の小震動を生ずる理由(りゆう)を示さんに個は先にも述(の)べた
る如く地下無数の断層(だんそう)は山脈構造の餘波(よは)を受けて其形ちを變(へん)じたれば太震後地割れ
目の空虚(くうきよ)なる處を塞(ふさ)ぐ等専ら其の位置を整頓(せいとん)しつゝあるものなれば随つて此の小震
動を生するものなり又大震後屢々遠雷の如き響(ひゞ)きを聞くことあるは是も地上に顕(あら)はれ
ざる断層中部の岩石(がんせき)等が地下に陥(おち)いる響きを聞くものなれども亦別に絶(た)えず顫動(せんだう)を
稱(せう)する小震動ありて個は人類には其の動揺(どうえう)を感ぜざる程の微動(びどう)なれども自然と空氣
を攪(かく)して斯る響を生ずる事もあるべしとなり
●熱田驛の震災 愛知縣愛知郡内にて震害(しんがい)の最も甚しかりには熱田驛にて下ノ一色
村、織豊村、日比津村等之に亞(つ)ぐ今熱田町役場の調査(てうさ)せし所に據(よ)れば同町内尾張紡績會
社、愛知セメント會社の煉瓦造家屋(れんぐわづくかをく)等は悉皆倒潰(しつかいたうくわい)し又同町席貸茶屋は大半家屋(たいはんかをく)を破壊
し到底其儘(たうていそのまゝ)にて営業なし難きを以て席貸茶屋出稼娼妓(せきがしちやゝでかせぎしやうぎ)一同休業の旨町役場に届出たり
熱田町役場 (元傳馬織立所)は堅牢(けんらう)なる構造なりしも《ルビ:震動|しんどう》の爲め四分通り道路に《ルビ:傾斜|けいしや》し