翻刻
然天に聳(そび)ゆるを見るのみにて其他は一面の荒原(くわうげん)に変じたるの観あり斯る修羅場(しゅらぢやう)なれば
容易に取片付べくき模様(もやう)もなく震災後三四日目にも猶ほ続々(ぞく〳〵)死骸(しがい)を破壁|壊墻(くわいせう)の下より
掘出し警察署にては諸所に
死骸(しがい)は随意(ずいゝ)に葬り追て届出(とゞけいて)で不苦候事 大垣警察署
と云(い)へる張札(はりふだ)を為(な)したる程なれば其(その)惨憺(ざんたん)たる一班を窺ふに足(た)るべし、焼跡(やけあと)は埃(ほこり)と煤と
焼残(やけのこ)りの煙(けむり)とを合(あは)せて日光を遮(さへぎ)る計りなれば屋根を踏(ふ)み梁(はり)を越えて通行(つうかう)する人々も之(これ)
が為(た)めに眼眩(めくら)みて昏倒(こんたう)する程なり又其(またそ)の焼跡(やけあと)は臭気紛々鼻を衝(つ)き来(きた)りて胸わるきこと言
はん方(かた)なし就中|痛(いた)はしきは圧死(あつし)したる者(もの)の内死体の引取人なき者(もの)にて是等(これら)は震災後六
七日を過(すぐ)るも尚半焦のまゝ|焼跡(やけあと)に倒(たふ)れ肉爛れ骨折(ほねを)れ実(じつ)に目も当られぬ有様(ありさま)なるを食に
餓(うえ)たる犬(いぬ)来(きた)りて其肉を喫(くら)ひ居(ゐ)るを見たる者(もの)あり夫より一段勝りたるは僅(はづか)に一|命(めい)を助り
たる者(もの)我親兄弟|若(もし)くは子供(こども)の死骸を引取(ひきと)りたるも火葬する事(こと)ならず左(さ)りとて棄置(すておき)ては
追々(おひ〳〵)腐敗(ふはい)して臭気鼻を突くに堪(た)へ兼(か)ね自ら其死骸を我家(わがや)の焼跡にて火葬(くわさう)する者(もの)さへあ
り、岐阜県官(ぎふけんくわん)は此惨况を知(し)らざるに非(あら)ざれども岐阜市の方(はう)が大切なるにや参事官が一
一寸|来(きた)りし限(きり)にて更に取片付を指揮(しき)する者(もの)なく郡吏警察署員も少数の故(ゆゑ)か行届(ゆきとゞ)かず県
道すら尚(なほ)片付(かたづか)ざれば旅人の難渋非常にて泊(とま)る家(いへ)は勿論食事する所もなく停車場(ステーション)の安田
屋と云(いへ)るが小家掛(こやがけ)にて漸く食物を売始めたるのみなり然(しか)るに松方総理大臣は名古屋岐
阜|等(とう)の惨况(さんきやう)を巡視し夫(それ)より大垣に来らずして帰(かへ)るべしとの説(せつ)あり折節大垣に居合(ゐあは)せし
旧大垣藩主戸田氏共氏、松本鉄道技師、宮嶋非職農商務書記官|等(ら)岐阜に馳行(はせゆ)き是非(ぜひ)とも
大垣の惨况(ざんきやう)を一|覧(らん)あるやう請願(せいくわん)したるを以(もつ)て左(さ)らばとて総理大臣には早速(さっそく)巡視(じゆんし)ありし
が小崎岐阜県知事は此(この)とき始(はじ)めて随行(ずゐかう)して大垣に到(いた)り岐阜市とは違(ちが)ひ人足(にんそく)其他(そのた)も不足(ふそく)
して殆(ほとん)ど手(て)の附(つ)かざる有様(ありさま)なるに驚きたるよし是(これ)を以(もつ)ても同町に救護の全(まつた)く行届(ゆきとゞ)かざ
りしを知(し)るに足(た)るべし
○高橋検事一家の圧死 右(みぎ)の地震(ぢしん)にて大垣区裁判所検事高橋清茂氏が圧死(あつし)を遂(とげ)たること
は既(すで)に前項にも記載(きさい)せしが同氏は老母、妻子の外(ほか)に三|人(にん)の子供ありて当日(たうじつ)妻女は先(ま)づ
起きて竃(かまど)の下を焚付(たきつ)け居(を)りし折柄此大地震起りしかば三|人(にん)の子供は寝所(ねどこ)より飛出(とびい)で母
親に縋(すが)り付(つき)たるも此時遅く彼時早く忽(たちま)ち家屋の顛倒したるものと見(み)え母子(ほし)四人の死骸