翻刻
に傷(きず)を受け其妻子二人は即死せしと云ふ○山県郡高富は全市街 悉(こと〴〵)く崩潰して一軒だも
其影(そのかげ)を留むる者なく死傷も亦頗る多(おほ)し○武儀郡関町は激震(げきしん)と共に数百の家屋忽ち崩潰
して百余の死傷(ししやう)あり次で三ヶ所より一時に火を発(はつ)して焼失戸数九十余戸に及べり各地(かくち)
の惨状は孰れ優劣(まさりをとり)なきが中にも其最も惨憺(さんたん)を極めたるは前記(ぜんき) 笠松、竹ケ鼻、北方、
高富、関及び加納町等とす去れど其の実況(じつきやう)はいづれも相似たるものにて一々《ルビ:記述|きじつ》する
も煩(わずら)はしけれは玆には其一斑のみを記(しる)せり委しくは被害統計表に就(つい)て覧(み)るべし
○震災を逃れたる老婆 大地震の話しといへはいづれも涙(なみだ)の種(たね)ばかりなるが岐阜県武
《ルビ:儀|ぎ》郡関町の農家(のうか)畑下由次郎方は《ルビ:家内|かない》五人の暮し祖母のおきぬといふは八十七歳の老体(らうたい)
ながら未だ中々《ルビ:健康|たつしや》なるより毎朝早く起ては門口(かどぐち)を掃除するを常に自分(じぶん)の役としてを
り十月廿八日も例(れい)の通(とほ)り夜の明るを待て起出で箒を以て門口(かどぐち)を掃いて居る折ふし彼の
大地震ありてアレよアレよと驚(おどろ)き居る間に我家は乍(たちま)ち倒れ孫の由次郎夫婦と玄孫(ひまご)二人
まで無慚(むざん)や梁に圧されて横死し幸ひ老母(ろうば)ばかり外に居たる為め一命を拾(ひろ)ひ其後県庁よ
りの沙汰とて救難所(きうなんじよ)へ入れられ哀しき日数を送る《ルビ:中漸々|うちやう〳〵》人々の情(なさけ)にて仆れし家屋を取(とり)
片付け家内四人の敢なき死体を埋葬したるがおきぬは同地に一人の親戚もなく東京深【この行のルビは隠れて見えず】
川森下町の《ルビ:道具屋|だうぐや》澤田喜三郎といふは自分の甥(おひ)にあたるとて是を頼憑(たよ)り十一月十日は
る〴〵東京に出来(いできた)り同家へ尋ね寄りて跡方の相談(さうだん)を頼(たの)み居るよしなるが同人は弘化四
年には信州にありて善光寺(ぜんくわうじ)の大地震に逢ひ此時悴を失ひしより孫の由次郎を養育(やういく)し岐
阜に赴(おも)きて農業に従事したるに《ルビ:今度|こんど》二度目の震災に遂に孫と玄孫と家屋(かをく)までを失ひた
りなりといふ
●多治見町の震災 恵那郡多治見町の震災は他の町村(ちやうそん)に比すれ 頗る軽き方(かた)にて死
傷等も少かりしが同町にては《ルビ:目下陶器|もくかぐたうき》《ルビ:竈|がま》焼立の以前にて室内に堆積(たゐせき)し又は竈内に入れ
ありし磁器(じき)は何(いづ)も墜落飛散(つゐらくひさん)して原形(げんけい)なく殊に字《ルビ:欠田|かけだ》の竈は其九分は山坂と共に崩壊(ほうくわい)し
て稲田の中に埋没(まいぼつ)し一種の奇観を呈(てい)せりと尚又今回の震災に依り多治見町に於て損害(そんがい)
せしは其金高凡そ十余万円以上にして為めに倒産の人々多しといふ故に陶器商人(たうきしやうにん)は恰
も商売は休業同様にして先づ四《ルビ:方|はう》の竈元(かまもと)に馳せて其損害を《ルビ:取調|とりしら》べ居る由なり
●春里村の山崩れ 可児郡 (愛知県境)春里村なる前山(ぜんざん)が四裂(しれつ)したる模様を記さんに