みんなで翻刻ver1

コレクション: STAGE2

愛知岐阜福井三県 大地震見聞録(内題) - 翻刻

愛知岐阜福井三県 大地震見聞録(内題) - ページ 69

ページ: 69

翻刻

 《ルビ:有|う》のものと《ルビ:云|い》ふべく《ルビ:殊|こと》に震動の《ルビ:激烈|げきれつ》なる部分《ルビ:甚|はなは》だ広く総面積の《ルビ:半|なかば》は強震《ルビ:以上|いじやう》に《ルビ:属|ぞく》せ  るものなり    ◎巨智部理学博士の報告書 農商務技師《ルビ:理学博士|りがくはかせ》巨智部忠泰氏は今回《ルビ:地震|ぢしん》の《ルビ:性質探求|せいしつたんきう》の為め《ルビ:震災|しんさい》各地を巡回し帰京 後《ルビ:左|さ》の如く《ルビ:報告|はうこく》せられたる由《ルビ:地学雑誌|ちがくざつし》第二集第三十五巻に《ルビ:載|の》せたれば茲に其全文を《ルビ:転|てん》 《ルビ:載|さい》せり此説は略ぼ《ルビ:巻首|くわんしゆ》に掲げたる「地震の原因」と《ルビ:大差|たいさ》なきものなれば《ルビ:震災地|しんさいち》々質略図 と《ルビ:照|てら》し合せ給はゝ其《ルビ:意味|いみ》も亦《ルビ:明瞭|めいれう》なるべし      濃尾越以下震災概察報告書  《ルビ:明治|めいぢ》二十四年十月二十九日《ルビ:今回地震地方|こんくわいぢしんちはう》京都、大坂二府、兵庫、滋賀、岐阜、愛知、福井  三重、静岡七県下へ《ルビ:出張|しゆつちやう》の命を《ルビ:奉|はう》じ即夜《ルビ:発程|はつてい》同三十日午前浜松町着郡役所員に《ルビ:就|つ》き  《ルビ:同地方|どうちはう》に於ける《ルビ:震動|しんどう》及び《ルビ:現象|げんしやう》等の状況を《ルビ:諮詢|しゞゆん》し十一時愛知県岡崎町着《ルビ:均|しと》しく同地  方の《ルビ:景況|けいきやう》を《ルビ:見聞|けんぶん》し其《ルビ:翌|よく》三十一日名古屋市に到る《ルビ:途上罹災|とじやうりさい》の状態を《ルビ:視察|しさつ》し十一月二日  に至るまで《ルビ:同市近郷|どうしきんがう》等に於て《ルビ:調査|てうさ》に従事し同日一ノ宮、笠松等を《ルビ:経|へ》て岐阜に《ルビ:到|いた》る翌  三日河渡、美江寺、大垣等《ルビ:被害地|ひがいち》を《ルビ:巡見|じゆんけん》し米原、長浜を《ルビ:経|へ》て敦賀に《ルビ:出|い》で翌四日福井市  に《ルビ:入|い》り五日午前市内外《ルビ:震災地実験|しんさいちじつけん》の後再び敦賀に出で《ルビ:翌|よく》六日京都府を《ルビ:経|へ》て神戸に《ルビ:達|たつ》  し《ルビ:翌日|よくじつ》同県庁及び大坂府庁に《ルビ:就|つい》て《ルビ:均|ひと》しく其当時の《ルビ:模様|もやう》を《ルビ:探聞|たんぶん》し同夜四日市に《ルビ:到|いた》り同  八日桑名郡より尾張の《ルビ:南部|なんぶ》を経て名古屋に《ルビ:出|い》で《ルビ:同夜発途|どうやはつと》九日午前九時《ルビ:帰京|ききやう》せり本官  出張の《ルビ:趣旨|しゆし》は今回地震の《ルビ:性質|せいしつ》を《ルビ:視察|しさつ》するにあるを以て《ルビ:右巡廻中|みぎじゅゆんくわいちう》専ら此方面に向て  《ルビ:観察|くわんさつ》したり  今回地震の《ルビ:現象|げんしやう》に因て其性質を《ルビ:開陳|かいちん》せんには震動地方《ルビ:地質構造|ちはうかうざう》の如何を知るに《ルビ:非|あら》ざ  れば之を《ルビ:理会|りくわい》を能はざるを以て先づ其《ルビ:大要|たいえう》を示し従て《ルビ:地震現象観察|ぢしんげんしやうくわんさつ》より得る所の  《ルビ:結果|けつくわ》に及ばんとす  《ルビ:地質調査|ちしつてうさ》の査定に拠て《ルビ:本邦地質|ほんぱうちしつ》の《ルビ:構造|かうざう》を案ずるに吾人が《ルビ:従来達|じゆうらいたつ》し得たる最下の《ルビ:地層|ちそう》  即ち日本《ルビ:諸島|しよたう》を構造せる最古の《ルビ:地盤|ちはん》は九州の西南肥後の《ルビ:南部|なんぶ》に始まり豊後佐賀ノ関  《ルビ:以南|いなん》の地より伊予の佐田岬に《ルビ:顕|あら》はれ南海道の《ルビ:中央|ちうわう》より志州《ルビ:鳥羽|とば》に至り参遠に至りて  《ルビ:漸次屈折|ぜんじくつせつ》して北に向ひ《ルビ:超|こ》えて越中に入る《ルビ:此処|このところ》都て《ルビ:右側|うそく》に並行せる《ルビ:火山脈|くわさんみやく》の凸地即ち