翻刻
珍事也人馬の死亡|挙(アゲ)て|数(カゾ)へ|難(カタ)し凡
|里数(リスウ)三十里四方に及ぶ|然(シカ)るに当時
善光寺如来開帳にて諸国より|参詣(サンケイ)
乃者|数(ス)万人此大|変(ヘン)に|逢(アイ)い土地|不案内(フアンナイ)にて
|身体爰(シンタイコゝ)に|迫(セマ)り|愁傷(シウシヤウ)大方ならず本堂に
かけ入御仏に|縋(スガ)り一心に念じたる者七百
八十余人壱人も|怪我(ケガ)なく|石垣(イシカキ)を|崩(クヅ)し
大地|割(ワレ)たる|中(ナカ)に本堂山門経蔵|泰全(タイゼン)
として無別条ハ仰き尊むべし|宣哉(ムベナルカナ)
人皇三十代欽明天皇十三年三国伝来
ゑんぶだごんの尊像にて百さい国より日本
に渡す時の大臣|守屋物部氏(モリヤモノゝベウジ)いたん乃
おしへ神明の御心不叶ハじと|難波(ナンバ)の池に
|捨(ステ)させ畢其後信濃国の住人本田よしミつ
池の|辺(ホトリ)を通行なすに池乃中により金じき
の光りを|放(ハナ)ちしぜんと御|声(コヘ)ありて善光ヲ
御|呼(ヨブ)とめ給ふ善光おどろひて池の中を
さぐり此如来乃尊像を得て故郷信濃国
伊奈郡ざこうじ村に帰り𦥑乃上に|安置(アンチ)す
|然(シカ)るにれいむに依て水内郡今乃地にうつら
せ給ふ御堂ハ三十六代皇極乃|女帝勅願(ニヨテイチヨクガン)也
けいちやう二年七月十八日太閤秀吉公の
令に依て如来を京都大仏てんにうつされ
しに如来乃仏意に叶わせられずしば〳〵
御しかり強く還住の御|告(ツゲ)是有に任せ同年
八月信濃国えかヘらせ給ふ是|遍(アマネ)く人の