翻刻
家内(かない)一|同(どう)にかくの如く油断(ゆだん)なけれは餓(うへ)人とも食奪(しよくうばふ)
ふべき手術尽(しゆじゆつつき)て夫(それ)よりは大|勢松明(ぜいたいまつ)を燈(とも)し来(きた)り
家(いへ)ごとに火を付|其紛(そのまぎれ)に食物(しよくもつ)を奪(うば)ひ去国中一統(さるこくちういつとう)
に日夜(にちや)の放火夥(ほうくわおひたゝ)し某(それがし)が家(いへ)へも昼夜大勢来(ちうやおゝぜいきた)り火を
放(はな)つ家蔵(いへくら)を焼(やか)れては篭(こも)るへき所(ところ)なく又|家内皆(かないみな)
飢死(うへしに)に及ふ事なれは日夜|防(ふせ)ぎて家(いへ)の構(かま)ひ入口〳〵
軒(のき)の端〻(ばし〳〵)人を分(わか)ち張番(はりばん)をして是(これ)を防(ふせ)く終(つい)に三十
七人の手|勢(ぜい)中〻|行届(ゆきとゞ)き兼(かね)て今(いま)や家(いへ)も焼失(やきうしな)はれ
翌(あす)や土蔵(どぞう)も焼落(やきおと)されんかと安(やす)き心はなく食物(しよくもつ)は
持(もち)なから食(くふ)べきいとまもなくしていつかわ我〻(われ〳〵)もあの
如く餓死(ぐわし)すなるへしと思(おも)ひしが天の時至(ときいた)りて秋田(あきた)
より米(こめ)入|来(きた)りまた此国(このくに)の人民(じんみん)も餓死(ぐわし)する者(もの)は大かた
死尽(しにつく)して乱妨(らんぼう)も少(すこ)し静(しづか)になり不思儀(ふしぎ)に三十七人の
家内(かない)壱人も恙(つゝか)かなくて今日に至(いた)れりと語(かた)りける又
青森辺(あおもりへん)にて馬(むま)に乗(のり)りしが其馬子(そのまご)の物語(ものがた)りに私(わたく)し
家者(いへは)八人|暮(くら)しなるか卯年の飢饉(きゝん)には人の肉(にく)を食(しよく)せず