翻刻
其時餓死人男子尤多(そのときぐわしにんなんしもつともおゝ)し十人のものなれは七八
人は男|死(し)し女は三四人也|夫故(それゆへ)にや今にても津軽中(つかるぢう)に
何(いつ)れの邑(むら)にても女子|多(おゝ)く男は甚稀(はなはたまれ)也男壱人に
大概(たいがい)女六七人|余(よ)に当(あた)るべし錠(でう)か関抔(せきなど)は格別(かくべつ)に甚(はなはだ)しから
さるゆへ女四人半ニ当(あたる)といへり此已後(このいご)は如斯(かくのごとく)男女の
配合不都合(はいごうふつごう)の事(こと)なれは人の生(むま)るゝこと少(すくな)なく是迄(これまで)の
ことく人民(じんみん)の領内(りやうない)に満(みつ)る事|容易(よふい)には有(ある)べからす
とそ又かしこにて其時飢饉(そのとききゝん)のことを餓渇負(けかちまけ)と言
ケカチといふ事|彼地(かのち)は辺土(へんど)の事(こと)なれはなまりて
かくいふにや何等(なにら)の片言(かたこと)にやと思(おも)ひしに其後太平(そのごたいへい)
記(き)を読(よみ)しにケカチ〳〵と言事記(いふことしる)せり古言成(こゞなり)けるにや
昔(むかし)より飢饉(きゝん)の度〻有(たび〳〵あり)し事世〻(ことよゝ)の書(しよ)に記(しる)し
載(のせ)たれは其年代(そのねんだい)は伝(つた)はりたれ共|様子(よふす)は詳(つまひら)
かならす太平|以来慥(いらいたしか)に書(しよ)も伝(つたは)り近(ちか)く耳(みゝ)にも
とまりしを挙(あげ)て爰(こゝ)に示す
寛永(くわんへい)十九年壬午|飢饉(きゝん)さて三十三年を経(へ)て