翻刻
有(あり)し事(こと)なれは書物(しよもつ)にもかき伝(つたは)り又は古老(ころう)の物語(ものがたり)
にもする事なれは此用心(このよふじん)をして飢饉(きゝん)に備(そなふ)べき食(しよく)
物(もつ)の貯(たくはへ)を兼(かね)てより設置(もふけおく)べき事(こと)也されども世の人
此飢饉(このきゝん)の一|大事(たいじ)をうはの空(そら)に思(おも)ひて昔(むかい)は有(あり)し
ことなるべけれども今(いま)は有(ある)まじき抔(など)と其用心(そのよふじん)を忘(わす)れ
農業(のうげう)を怠(おこた)りうか〳〵と年月(ねんげつ)を過(すご)しけるにはからすも
天明(てんめい)三卯年に至(いた)り天災地(てんさいち)の変有(へんあつ)て凶年(きよねん)たりしかは
諸作物実(しよさくもつみ)のらずして関東(くわんとう)より陸奥出羽(むつでは)の国〻(くに〳〵)
飢饉(きゝん)となり人|多(おゝ)く死(し)にけり其有様(そのありさま)を見もし
聞(きゝ)もしけれ共|先(まづ)は余慶事(よけいごと)の様(やう)に思(おも)ひ居(い)し程(ほど)に
頓(やが)て我身(わがみ)の上に及(およ)ぼし家内(かない)の者(もの)も餓(かつ)にせまる
時(とき)に至(いた)りて目を覚(さま)せし如く俄(にはか)に驚(おどろ)きし人も多(おゝ)
かりし此節(このせつ)に当(あた)りかねての油断(ゆだん)を後悔(くわうかい)し先非(せんぴ)を
改(あらた)めものことすべて倹約(けんやく)にと心付扨農業(こゝろつきさてのふげう)も前(まへ)よりは
出精(しゆつせい)の様(やう)に見(み)へしが其後年月(そのゝちねんげつ)の過去(すきさ)るに随(したが)ひ
天地(てんち)の災(わさは)ひなく打つゝきて豊(ゆたか)なる目出度|御世(みよ)と