翻刻
談(だん)し僕(ぼく)壱人を召具(めしぐ)し天明六七之|頃京都(ころけうと)を出発(しゆつはつ)し
廻国(くわいこく)する事殆に十年に満(みち)その旅行(りよこう)先〻|千辛万苦(せんしんばんく)
の事共|我大父(わかたいふ)に語(かた)る其(その)内に飢饉(きゝん)の一|条(でう)こゝに挙(あぐ)る
抑天明(そもてんめい)三卯年|春諸国飢饉(はるしよこくきゝん)なりしうち奥州羽州(おうしうわしう)
は別(べつ)して大|飢饉(きゝん)にて人相食(ひとあいしよく)するに至ると其頃京都(そのころけうと)
にても南部津軽等困窮(なんぶつかるとうこんきう)の沙汰夥敷聞(さたおひたゝしくきこ)へて人〻
聞及如(きゝおよぶごとく)くなり予(よ)か奥州(おふしう)に入しは同六午年なれは
最早国豊(もはやくにゆたか)に食(しょく)も足(たる)べく思ひしに卯年の飢饉京都(きゝんけうと)
にて言しとは百|倍(ばい)の事にて人民(じんみん)大かた其時餓死(そのときぐわし)
尽(つく)して南部津軽(なんぶつかる)の地荒潰(ちあれつふれ)目も当(あて)られぬ事共也
先羽州秋田(まつわしうあきた)を過(すぎ)て東北(とうぼく)の方に入事十里|余(あま)りなり
しに道(みち)の傍(かたわら)に人の髑髏或(どくろうあるい)は手足(てあし)の骨等有(ほねとうあり)みな
いと白く枯(かれ)たり異(い)やうなるもの見るも不祥(ふぜう)なりと顔(かほ)を
背(そむ)けて通(とふ)り過(すぐ)るに一里〳〵|進(すゝ)み行程(ゆくほと)に其|枯骨多(かれこつおゝ)く
朝(あさ)の間(ま)は五ツ見(み)しか昼過には十五六も見(み)しか其翌(そのよく)
日は三十も見又|翌(よく)日は五六十も有(あり)にそ後(のち)には