翻刻
但 大納言様東叡山増上寺共 御参詣度毎 御機嫌
御伺御使者被差出候儀以後定例故不記之
一二月晦日御留守居年寄土屋兵部少輔《割書:秀
直》殿江御使者御留守居
横田作大夫《割書:尚
道》を以過書御請状判形之儀御家来津田九右衛門
加藤長右衛門横田作大夫三人江被仰付候得共故障有之節者
一判ニ而相調候様御頼被 仰入
一三月六日御用番本多伯耆守《割書:正
珍》殿ゟ御呼出ニ付御留守居加藤
長右衛門《割書:正
敏》罷出候処左之通御書付御渡有之
松平於義丸
来ル十五日大奥江登
城可被致候
三月
一同日右同断 御本丸老女中ゟ奉文を以申来右為御礼
公方様 大御所様 大納言様御付老女中江御文被差出之
一同月七日御留守居年寄土屋兵部少輔《割書:秀
直》殿并御広敷番之頭
横山伝右衛門 殿江御留守居加藤長右衛門《割書:正
敏》左之通書付を以
相達之
現代語訳
ただし、大納言様が東叡山・増上寺ともに御参詣の度ごとに、御機嫌御伺いの御使者を差し出される儀は、以後定例となったゆえ、記さない。
一、十二月晦日、御留守居年寄・土屋兵部少輔(秀直)殿へ、御使者・御留守居・横田作大夫(尚道)をもって、過書(通行手形)の御請状判形の儀について、御家来・津田九右衛門・加藤長右衛門・横田作大夫の三人に仰せ付けられ候えども、故障(差し障り)のある節は一判にて相調え候よう御頼みを申し入れられた。
一、三月六日、御用番・本多伯耆守(正珍)殿より御呼び出しにつき、御留守居・加藤長右衛門(正敏)が罷り出でたところ、左の通り御書付を御渡しあった。
松平於義丸
来る十五日、大奥へ登城致さるべき候。
三月
一、同日、右同断にて、御本丸老女中より奉文(書状)をもって申し来たり、右の御礼のため、公方様・大御所様・大納言様御付き老女中へ御文を差し出された。
一、同月七日、御留守居年寄・土屋兵部少輔(秀直)殿ならびに御広敷番之頭・横山伝右衛門殿へ、御留守居・加藤長右衛門(正敏)より左の通り書付をもって相達した。