翻刻
穏(をだや)かになりしかば主人(あるじ)風(ふ)と心付て我(われ)先刻 逃(にげ)いだ
すに仏檀(ぶつだん)の本尊(ほんぞん)先祖(せんぞ)よりの位牌(いはい)は持来(もちきた)れども
肝心(かんじん)の伊勢太神宮(いせだいじんぐう)を初(はじめ)とし神棚(かみだな)に納(おさ)めし所の
御祓(をはらい)を失念(しつねん)せり勿体(もつたい)なき事也何は兎(と)もあれ
是(これ)を持来るべしとて地震中(ぢしんちう)ながら船より上(あが)る
息子(むすこ)これを聞て親父(おやぢ)壱人にては覚束(おぼつか)なし我も
共々(とも〴〵)に家に至らんといふ此時 女房(にようばう)も先刻(さきほど)あは
てし侭(まゝ)に厠(かはや)にゆく隙(ひま)なく其侭(そのまゝ)に船にのりしが
壱人(ひとり)上(あか)らんも心元(こころもと)なし幸(さいわ)ひの序(ついで)なれば一 所(しよ)に
行(ゆき)たしと続(つゞ)ひて上(あが)らんとするに娘(むすめ)も行度(ゆきたき)よし
を申せば下女壱人ふねに残(のこ)さんも心元なしとて
惣々(そう〴〵)打連(うちつれ)一度に船より上り我家(わがや)へ帰(かへ)り主人(あるじ)は
手水(てうづ)をつかひ身(み)を清(きよ)め神(かみ)だなの御祓(おはらい)をおろし
女房娘は厠(かはや)へゆき小用(こよう)などして暫(しばら)く時(とき)を移(うつ)す