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コレクション: STAGE8

地震記 下 - 翻刻

地震記 下 - ページ 37

ページ: 37

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 里にも至る脉絶る地は隣ても動かす吾神国の伝来凶災は  禍津日神の行逢なり固り此神故に悪を為にあらす唯  行逢う者其災を被るのみ是国政の可否に拠らす天は知さる  證なり  徳永千規問曰須弉雄命の神性の加りて然るに非すや  答曰予も始は然意へり此命海原を知らし給へと命せ  られ玉ふを守り玉はゝ誠に其説適当すへけれと否み玉  ひ命の如く従ひ玉はさりけれは略きぬ  或書に近江の湖水地一夜に没して冨士山突出すと云り  本史に見へされは浮説として採らさりけるを林羅山子曰    大古の事は疑へからす予或時冨士山上の石を餉る者有  其石貝かうつけり又土佐国五十万頃没して海と成是は  日本記に見へたり民間伝て去今東寺より足摺山の間なり  是等地は海に包まれ有證なり   罹烖の後寓居親家請假筆硯執管   同季冬         菜園刀禰  追考史記曰幽王二年西周三川皆震伯陽甫曰周は将に  亡しとするか天地の気序を失ふ民乱るへし陽伏を出る  こと能はす陰迫て蒸ること能はす是に於て地震す  是陽其所を失ふて陰に塡るゝ也原塞る故周必亡し