翻刻
江都の近郊上平井ハ聖天宮鎮座ありて都下の老若春秋ハこゝに歩行をはこぶもの
多く人のよく知る所也この地震にて裂る事弐町余幅凡そ弐間斗り深サ幾丈といふを
しらす適民屋この上にあるものハ半こゝに埋れり況や衣類調度の類落入ものハ出る
?なくまた新吉原の日本堤隅田川の堤も裂たりしかれとも広大ならすその余人力をもて
埋みたる地或ハ築出セり土手なんと年旧り天地堅まるといへとも多く損せさるものなし
この上平井もそのむかし川なんとを埋ミしにや但しこの事後にきくに知らさる人も多ケれハ
かく広大にハあらさりしか行程さのミ遠きにあらねと行て見されハ真偽ハしらす云云
見聞録
一そのころ誰いふとなく専ら風説セしはこの大震にあふて渾身傷損もなく況命をも
殞さゝるものハミな神明の加護によれり因てその人の袂を見るに白き毛長サ壱弐寸なる
ものありこれ伊勢 皇大神宮の與へ給ふ所にしてこの毛ある者災害を免るといひ
あへり云云予か知己何某なる老人は深く信することありてこの事を疑はす家内及ひ近隣
の男女の袂を探らするに多く此毛出にケり凡長サ壱寸五六分白くして艶あり云云
天保壬申諸国凶作なりし年東都に毛を降らセし事あり今猶其毛を蔵する人あり
その頃世間の風説に或人獣の毛を晒セしに大風来りて是を捲き普く雨セし也なんと
種〻いひあへりしか全く左様の事にあらす天地不正の気によつて斯のことき事あるなり
既に唐土にもこの例あり唐の咸通八年七月下邳に沸湯を雨して鳥雀を殺し宋の
端本三年七月血を雨セしこともあり元の至元二十四年土を雨す事七昼夜その深キ事七八
尺牛畜尽く没死すその余肉を雨し穀を雨し舊史に往〻見る所何そ毛をも雨さらん元
より怪むに足るものなしその降たる毛邂逅に人の袂に入たる也と議論セり云云中略去天保度
毛を雨しとハ或人西域の書に考へ又顕微鏡をもて是を熟視し是毛にあらさる事を知り
その弁を一紙に上木し知己の人に贈りし事あり予も一枚を得たりしか今遺失して肘近ニ
なし因て暗記のまゝを挙く抑時候不順ニして夏月天に陰雲覆ひ数日を経て日光
を見す因て不時の冷気行ハれ稲穀登りかたきに到而この時陰雲の中にセいを生すその
貌毛のことしその長さ寸余よりニ三尺に及へる物あり然るに風の為に吹れ地上へ落る時