翻刻
草木の精腋【液カ】を吸い尽す爰に於て稲果以下茱蔬の類ミな熟セす国土飢饉に及
なり西域の地にこの事ありてこの蟲をコスサメルといふ這回降りし毛といふは則このコスサメル也
顕微鏡にて是を見るに背に七八の黒點ありたとひハ|鱓(ヤツメウナキ)のことし口ニおほしき所もあり全く
の毛にあらす蓋全躰の色定まらす多くハ黄に黒を帯て斑文のことき在れと微少ニして
其形知りかたし云云かくあれハ這回人の袂に在りしとは大に異なり後の識者の考へを俟
淑明云この白毛を雨セしは天保壬申の年六月廿五六日之頃の事ニ而予常州夏海寓居
の時の事也その頃常州府中の辺ニ白毛降しと人〻いひあへりしか是は近き頃或諸侯方の通
行ありし後にて白熊なとの毛の抜け散りたるなるへしとの説ありし故怪き事ニも思ハ
さりしかやかて夏海宿内ニも降れりとて児童輩拾ひ来るを付て出て是を見るに
往還に所〻散在セり其毛ノ長壱弐寸より尺余の物あり多くハ白毛ニ而又光沢ありて
全く旄牛の毛に同しきか多く中ニハ栗色なるもあり黒きもまゝあり馬の毛と少しも
違ふ事なし数日経て東都ニも此事ありと聞及へり其後数十日経て風聞に
東都の奸商共米價を沸騰セしめんか為に仕成セし事ニ而その者既ニ召捕られし
抔風聞セしか後是を熟思するニ左ニもあらすこの毛松川殿?の官舎のうら庭な
とにもあり又夏海宿ゟ拾丁余田圃を隔たる鎮守神明宮の山際の田間なとにも
多くありいかに奸商なれハとて東都より三十余里を隔たる片田舎のかゝる山際
迄毛を散す事の届くへき様なし又時候不順なるに因て牛馬の毛の一時に脱して
散りこほれたるやなとゝ思ひとさらハ厩なとにハ殊に多くあるへきか左もあらす如何にても
一奇事也但し予今三四根?を蔵すれとも全毛ニして他の物にあらす去ル天明年間
凶歳之事ヲ記したる農喩と云へる物ニ見たるハ毛の如なる物降れりと記セり是は
彼陰雲の中に生セし蟲なるへし因ニ爰ニ記して後評をまつ《割書:安政六未二月|十日記 淑明》
見聞誌
一新吉原ハ五町とも潰家多く所〻より一時に出火して遊女ハもとより客人抔多く死亡し中に毎夜
こゝに入来る按摩たち其人数も多かるに唯弐人死セしと云盲人なから能も逃出セしもの也遊女屋の
中にハ京町一丁目岡本楼同二丁目松葉屋角町若狭屋江戸町二丁目岡田伊勢屋三浦屋吉右衛門