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て。其外にて。其外にて。其外にて。其外にて。其外にて。
九六
梅木村
山のかたはらにつきて流行すれば、此山々の終る方に一小平をなしたる松山あり
宅を測行由といふ。直に好はあらそひたちて識もなしたる如くなれば呼なるべ
し、小石明を建つ、これは無時権現なりとず。我衆の此学にのぼりたるをしか。
彼の効むしろもち付て酒のむところをきだはざれど松茸たちて眼をさへぎり嬰
むなしければやがとむか。以の山に又一層だかくといへたるあり、あの山の山のかだに
痘症さんとて到れば疫癘すゝめにめぐり〳〵てかはゝさゝさひとかいふものをき
かしまに死でたらんやうにてがらうとて項に頃にのはる私は松のかげ打挑ひ医気人
をうつに引かへ忽ち豁然とうちひらけたる處に山づ、これ此後/異なる。秋樹よき
ほどに並び立て間に希祖あり。これ宜定明神なるよりて山も亦山亀山と称す。岩
は東山つらなりて終には赤城延瓦尾に及ぶくいふ此ながめさきにことなめて棚半
の地勢手にとるにかる見わたさる。人意凡一千余烟といへど前をもて救んには
三四千にもいたりぬらん。町のせさは六町と称すれ其害は十二町現在に折て二町
右におれて一町通りて十町これを新宿といく。寺ヶ崎辨社三酒井大学頭駿の別封
からざるにていふにてといたにて。ことく
なる。再は三百七十石との説先組十倍きといふ。海岸は街北西隅山西にあり水夾
二人夷代郡代街の長爾佐浙清左衛門に仰せて此果を治めしむ。抑此地は四方量
山、俄に南山溺て人迄を進ずるのみならず、潮生川も亦左近谷より流れ出て此由
関を経下呼に至り相狭に合す。渡瀾に浸山より流れ出て茫並流言はかりなしたゞ
桐朱引分水によろしく枝流山街にあまねく水車そにはかくなくなくかけわたし、□
稀の勞をはぶく。山上吉木によりてながむるにたゞ人婦と虫気し逃りて半天に
幕を掛たるごとし。いとものしがかなる中に水中と狭壁とうちまじまじもわがとゝ
メ其たのしむ。地勢をうつし終めて義兵衛祐庵彦太郎と酒をのみ行研にしらき
山を下るにかん〳〵と希する處ある、それなんおもふ此山軸苫湯にて空虚酒をな
したるところ踏て音を發するなりといひ合て下る。
十六日晴。
街より行所など用意して、天神といふ地のこなたなる要考に受んと、義兵衛橋麻布
太郎庄太郎補助とを従ふ。現村谷仁左衛門は慈兵衛が経が兄弟なれば歓ふ。命と
いふは何半大炊助の口同天王の一なり、吾子耶此村に残りて円魁多しといふ。此
群山全集群集
九七
して。其/一/彙/又/又/又/人_一_一人十一_一_一_一_一_又/人_一_一_一_一_一_一 ̄/。/。_。/。
を知るべし。其外にて。其後にて。其後にて。其後にて。其数十一日にて。其/其後にて。