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二十一月二日の方にて。其外にて。これば。其外にて。
一〇
後守則之為病生四應護
此地許_レ之。加以_二彷要_二伊勢回造_二途_一 ̄ヲ。随民自然之。随身
山下に黒児十二将の遊ありといふ日暮にちかく行かず山間本業をふるてくだれ
は有染といふ川の血中に細引きて此組をかぜとなして棒をもちひずこれ又及没瀉
川なり。左様より段嘗て上はたゞおくらさばかりに生ひしける中に猶業の打ま
おりたるいとあはれなり。又此川にそひて行袖神明の古祠ある、これなけれわたり
の生土神といふ。師踈わたりは大隅々とてむかしは村なりけるを今は人家稠密稠密
になりて機嫌をもつぼらとし、兼たの猶末の市をなし。遠き村よも入いもつどひ
て終に上にも村とは稱きずして町とは申せしとぞ。両凡十町弟あたり家六七百戸
にあまるにぬらんこれも又酒井大学婦殿の地なり。此病の街を距る凡そ三四
現在後辺をとり本の狭につきて溶めすればはね蔵といふ。赤波満川の上流にて
水行せかれて浴をなすよりかくは体なるべし。夏の程は等無身下流より吾もの
たきを越んとし飛びあるき。行に坐て網をさし出せばあやまりて其中に答つるを
取る。一時数軒瓦生とくに輸似なる事とぞ。雑理に謁し老若君に林尊す。再荒れと
してにりて。そのことして
すれば興半にして出来円の間を行事凡
一里、下野の山の端に月山の端に月出、
赤城山火あり、燈のごとし。天王宿に到
る。此村四十戸群をなせり。堤定右衛
一十一ヶ所にて、其上にて三十四といふは此村第一の台別にて、かたは
衛橋御衛門といふは此村第一の豪農にて、かたは
なれから絹買といふをなりわひとなせり。家
六日地広大にしてこものも又多く養へり。
定右衛門七十余
概要七十余
養子六十余
こともの實は妻の弟
実は妻の弟
要四十余
四十餘
□
孫、妻
リ其外ニ而ハ其外ニ而ハ其外ニ而モ無之
曾孫、妻死
曾孫、妻
一〇一
群山全集
あにして。その事なりて。其外にて。其外にて。其後にて。
一日にてその事なりてなからする事記かるべし