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を以て。其外にて。其外にて。其外にて。其外にて。其後に
一〇八
○桐生池越若季多許人。如参。市川重齋佛、部、天孫、永井翁新彌亞。佐々本式編
書家来弘斎任、画工建涼器、異竹抄主著
◯下野国志若丁巻下野戸奈良人石井寺兵衛蓄吉兵衛雑康頗勾松仁之修仁福修
書志_二実学_一可_一也。
○上毛国志十四巻、新田郡勢良用人、予已得之
◯浴水置所到相生客之上其左衛門参行義被称楽又看病悪民庶民染患者乃乙女爾
古登問者。古来志天行登以不奈理。
○生山高宮在国卅曰。世乃中乃覩若志線術非委毛千更千乃道越達世人越見以
生田生己知記之
夜關発遊欣す。南頼始未霜朝辛子、武税本根林伊中国、伊予、光季満を住とす。よりて供
察す。その他等を収浚はあし、奥山呂尾途方明もいたる、九軒約あり不来。
廿一日購廿一日晴
沖久井氏を聞ふ、彼長兵衛といふ人に延ぶ、又楽野清次郎に逢ふ、見殺屋佐兵衛と
いへるは武右衛門の跡の子を養ひてずとせし人なり、済充筆といへるは我軒滞三
からざるにはいふして。ことをいふして。その
郎の弟忠之助の次第なり。この清次郎の姉は今尾満連のもとに嫁つきて今足利に
あるとをのふ斉藤式右衛門の姉にて津久井橋宅の妻となりしがことし三月夫に
おくれたり三かい変このぬいといへるは松が一女にて格笑みまかりて祖母と称し
とにやしなばれ、ことし三月是利の近江原忠郷市といへる永基厳壮と壮方とをなり
むひとせる商人にもらはれて後其丁と委せんとやくし。かの源通仲人となりて内
外に心をつくしよろつ全きよし子がいたりしを其母よろこびて我なる武右衛門
無妙なる人にも其ひとゝなりてあてやかなるさまに物寄らひにもせ言はしと、夫
る十三日右相生の術方なれば忠助も来貢片あれば正月よるの変あるを印造り是も後
の市十七日に薪のほど避ければ馬をやとひのせて来て子に逢せたる、そのさまい
と俺に女びて又おさなきふるまひも打まじりていとめでたし
去る十七日此方へ呼たる時其父なる忠助が車機。おのい事おくなびてこものと物
いふるまだゞならずいと見るに貉ぬ事ともなれば今親室にまゐりたるたるを幸なれ
ばよく教王へとて帰りたればいと漸きてぬいよびで其事をたゞせしかばづまこと
に様なき事にてたゞしゆうとめはねたみ深くて立身ざるの意も疑ひおもひ震の常に
眩発
一〇九
して。そのごとして。ことして。
してもにして。そのからするべ