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又舎那の大像を金色となすべき黄金をあつめさせたまふに本朝いまた黄金なし
御門和州金峯山の金剛蔵王に祈りてかの山の黄金を得て箔のたすけとせ
よと良弁僧止勅を蒙り丹誠に祈りしかば蔵王の御告容ありその霊瑞にま
かせ近江国瀬多里に行しが老翁石上に釣たるゝあり僧正老翁はたれをも
向ふ老翁■■我は比良明神也此地は観音の霊地なりといひ果て■がごと
くに見へ給はず神約にまかせ庵を結び如意輪の像を作りて祈つゝ今の
石山寺観音これ也《割書:釋出|》いくほどなくして天平廿一年二月奥州よりはし
めて黄金を奉りしかば帝叡感まし〳〵同四月に改元あり天平
感寶元年と号す後に感を
勝と改む続日本紀
此時よめる歌
万葉
すべらきの御代さかへんとあつまなる陸奥山にこかね花咲 家持
又かさねて黄金九百両を奥州より奉る歌《割書:續日本紀|》此功によりて陸奥国主
敬編に銀青光禄太夫の官を授らる《割書:釋出|》
○最初造立より百十年を経て斉衡五年五月廿三日毘盧舎那の大像の大御頭おのづ
から落る帝王編年記長明方丈記平家物語等に見へたり
○第二の再建は高倉院治承四十二月廿八日平重衡卿の兵火に罹て伽藍は灰燼と
なる三国無雙の舎那の像も御頭と鎔ながれて落させ給ふ《割書:平家物語|》再興なくてやあるへき
とて後白川法皇右大将頼朝卿 及び醍醐の俊乗坊重源上人に勅して再興■侍
建久六年三月十二日大佛供養あり主上行幸源頼朝公参詣して八黄一万石
黄金一万両上絹一千疋寄進
せらるゝよし東鑑に見へたり
○第三再興は正親院永禄十年十月十日当國信貴宝城寺松永弾正忠久秀の兵火に
罹て大佛殿けふりとぞなるにける舎那佛の御頭も焼落けるが其後は世の中
乱りがはしく誰有て継奉るべき工もなく年月をかさねけるが当国の武士■
道安といふ人これを歎き冨財を抛て修補す今の佛像これなりされど
滑稽古談曰
万■は南都の西南
相去る事三里許に
○窪田著尾の両村
ありこゝより出る故に
窪田著尾の二流あり
万歳や
智恵
なき顔
と
見へて
よし
湖夕