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一を聞て十を知り夫より法相に入華嚴の奥旨を得給ひ聖武帝
の帰依僧となり東大寺大仏殿なども良弁の勧によりて也天平
宝字四年に僧正となり宝亀四年十一月十六日入寂し給ふはじめ
鷲のつかみ引しを母のとし月をかさねて尋ねさまよひ峩々たる
山路に分入渺々たる海を越昼は野原の草に休らひ子を思ふ雉子
の鳴にも夜は孤村の辻に臥親を慕ふ犬の聲にも共に涙をとゞめかね
一挙の粮とぼしく半日の命のうき事幾度こそかありつらめきのふ
過けふとくれ早三十年ぞさまよひける心は老■の千里を思へとも
つかれは飢鷹の一呼をまつにたへかたくやありけん故郷にかへりなまし
とて淀舟に乗るしらぬ國しらぬ里の人もあひ乗けれはおもひ〳〵
にいひける中に奈良の良弁僧正は帝の御帰依厚く世のきこえ
ためしなく侍りけるが此僧正稚き時鷲の■来て拾たりし人にして
ありとぞ語りける余所ながら聞にこゝろもそゞろに飛たつ■
にてならの京に来たり我子の良弁僧正にぞ逢ける僧正母■
をつくし他事なく仕へて終に母公をおくりたまひき
委は釈書に見へたり
母公を後世子安の神と
祝ひて社は大仏殿の西のかたにあり
二月堂は羂索院と号す天平勝宗四年良弁僧正の御弟子實忠■
勅定によりて造営あり本尊観世■を摂州難波浦より十一面大悲の像長
七寸の銅像にしてあたゝかなる事人の膚の如し實忠是を感得し當院に
安置それより毎年二月朔日より十四日まで法會あり十五日には後堂に
於て涅槃會あり《割書:釋出|》又鳥羽院の時日本國中霊驗の尊像をしるし給ふ中
に二月堂の観音は肉身なりとかとせ給ひき大観音は實忠和尚補陀洛山の
観音を勧請して居奉り懴悔の法を行ひ給ふよし佛法傳通記に見へたり
當堂治承の兵火に俄に風かはりて残れり又寛文十年二月の回禄には堂舎
煙りとなれともに小観音は東大寺の僧出し奉る大観音に煙り中に立給ひし持物の
珠樹のふさも火に焼せす巨材おほかゝれとも像のあたりは除れり又聖武帝■
■の涅槃經光明后の華嚴經牛王の印露ばかりも火にそこねず此事は当
堂の
鐘の銘にもしるされたり
若狭井は二月堂の開伽水なり開基實忠和尚二月堂の行ひの初夜に