翻刻
北傳法安楽寺梅田|墓(はか)所大方|崩(くづ)れ五百|羅漢(らかん)浦井の
聖天鳶嶋弁天其外人家寺方角屋敷など数多の破損
に及候事|筆紙(ひつし)につくしがたく然るに四月巳の刻後数度
ゆり候へども格別(かくへつ)の義なく翌(よく)五日申の下刻ゆり出すこの四日より
も甚(はなハた)敷これニよつて市中の人民|騒動(そうどう)し東西に走り南北に
かけてものさわがしたとへるに物なし然るに前夜(ぜんや)より家の内ニ居る人
|稀(まれ)なり大方ハ門へ出て夜を明し又ハ船にて用意し川中へ出て
夜を明すも有古今の周章(そうとう)甚敷又〻五日申の下刻沖の方
|鳴(なり)いだし人〻あやしく思ひ候処即刻大津浪来り
道とんぼり下前内裏嶋勘介じま三軒家難波
嶌等泊り有大船諸国の廻船千石已上弐千石ニ
ちかき北国積艀の類ひ何百|艘(そう)となくスワと
いふ間もなくあらばこそ大船小船の差別(しやべつ)なく
右津波のためニ一時に押(をし)来り先とうとんぼり
川下なる日吉はしからかねばし幸ばし住吉
ばし四ケ所の橋〳〵内打くづし打破キ大船