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コレクション: 弘法大師関連資料

弘法大師御本地 3巻. [2] - 翻刻

弘法大師御本地 3巻. [2] - ページ 10

ページ: 10

翻刻

の手ふるひいでたり。されどもこの人も そのおりからは。日ほんぶさうの手かきな れば。手のふるひながらもかゝれたりし ひつせいは。なをも見どころありて。その理 にかなひければ。たうふうのふるひふで とて。人みなもてあそびたまひにけりされは 朱(しゆ)しやくもんは。人のゆきかへる大路(おほぢ)になり て。米(こめ)をになひ上下。いで入事に。なれり。 大こくでんは。せい和(わ)てんわう。でうくわん。十八 年にやけにけり。まことに。大権の聖者 (しやうじや) なればかねて未来(みらい)をしろしめしける 事にこそ侍へれ。またあるとき応(おう)てん もんの。がくをかゝせられしに応(をう)の字(じ)の。 うへのてんをおとしたまへり。すでに もんのうへにかけて。あふのきて見たまふ に。点なくくうかい筆にすみをてんじ て。其筆をなげ給ふに。すこしも。もん 字(じ)のかねをたがへず。応(をう)の字の上のてんを うちたるこそふしぎなれ。みかどより公卿臣 下までかんじ給ふもことはり也

現代語訳

の手が震え出した。しかしながらこの人もその時分からは日本無双の書家であったので、手の震えながらも書かれた筆勢は、なおも見どころがあってその理にかなっていたので、道風の震え筆として、人々皆がもてはやしたのであった。 そうして朱雀門は人の往来する大路となって、米を担いだ上下の者が出入りすることになった。大極殿は清和天皇の貞観十八年に焼失してしまった。まことに大権の聖者であるので、予め未来をご存知であったことなのである。 またあるとき応天門の額を書かせられた時に、「応」の字の上の点を落としてしまわれた。すでに門の上に掛けて、仰ぎ見ていると、点がない。空海は筆に墨をつけて、その筆を投げられると、少しも文字の位置を違えず、「応」の字の上の点を打ったのは不思議なことである。帝から公卿臣下まで感嘆されたのももっともなことである。

英語訳

his hand began to tremble. However, since this person was already Japan's peerless calligrapher from that time, even though his hand trembled as he wrote, the brushwork still had merit and was in accordance with reason, so people praised it as "Tōfū's trembling brush." Thus, Suzakumon became a main thoroughfare where people came and went, with people of high and low station carrying rice passing in and out. Daikokuden burned down in the 18th year of Emperor Seiwa's Jōgan era. Truly, being a sage of great supernatural power, he had foreseen the future. On another occasion, when he was commissioned to write a plaque for Ōtenmon Gate, he omitted the dot above the character "応" (ō). After it was already hung above the gate, as they looked up at it, there was no dot. Kūkai dipped his brush in ink and threw the brush, and without missing the position of the character even slightly, he struck the dot above the character "応" - this was truly miraculous. It was only natural that everyone from the Emperor to the court nobles and retainers was amazed.