翻刻
見するに夥しく人の群為て駕籠抔立並へたれは何事
やらんと問ふに接骨療治名倉弥次兵衛か出張所也と云まゝ
に立よりて見れハ女乗物十挺斗り其餘の駕籠二十餘挺又
釣台に載たる病人長持に入たる疵に人おひたゝし且あた
り近き茶屋及ひ明屋を借りて臥し居ものも甚た多し
往還は行かひならん迄立とへり頓て内方より病人をよ
ひ入るゝをきくに第百八十三番と呼はりたり此時また昼九
半時前なるにかく数多の療治人なれは一日の内にハいつ
れ三百餘人ハ来るへきや此名倉と云ハ千住に本家あり
て江戸内二ヶ所の出張有ときゝつれは三所を合せハ一日
千人位の療治なるへしその餘官医ハさらなり諸侯抱の
外科およひ市中渡世の外科を通して江戸内十町に壱家
と算し又その一家の療治三十人つゝを積りても殆と萬をも
て数へきならん地震の災厄ます〳〵恐るへしそれゟ内神
田亀井町弁慶橋柳原土手下過大門通り神田堀浜町堀へか
けてハ潰家多く又潰れさるハ家並倒れかゝりて危けれは往
還をも憚らす左右より杉丸太桁木の類もてひかへ杭を
立並へしゆへたやすくゆきもなりかたしもしかゝる時節に
火事あらんにハ火事場掛りの衆なと騎馬ハなるまし又階子
纏の類も持ゆく余地ハあるましきなりそかうへに少し空地