翻刻
市谷御門入て番町を横きり麹町見坂にかゝり行にその
道すからハ強きゆりもなきやうにて大低己か宅地辺にひと
しく覚へたり中山氏新宅いてきし後始てたつねしゆへ
ミきみさかな抔出され昼のかれいひ饗せられて暫し話説
のなかにこたひの地震の死をまぬかれしハとく隠居となり
しさち也そのゆへハ雉子橋御用屋しき予か居し御長屋
ハ第一番におし潰れて微塵にくたけたれはとてもの
かるへきとハおもわれする也かゝれハ命数ありてかく
無事に災厄をのかれし也又忰及ひ孫も危き筋なれ
と此頃御鷹の夜すへといふを始りて日暮過ゟ夜半頃迄外
に出てすへまハりかの地震ふるひ出し時ハ未た家に入さりし
ゆへまたのかれし也たゝ恨むしくハ一人厄介の同居人有
りしに彼はたま〳〵予か寝間の所に臥ゐて即死したりとい
とかなしと語られたりその後栄照院の内話にきけハかの厄
介といふハ栄次郎か次男にて《割書:即善太夫|か孫なり》矢橋金次郎と云者也
御役宅の事なれハ圧死を披露しかたくてその夜中永田
町の隠宅に引取翌朝菩提寺へ葬せしと云猶中山氏を出
虎の御門に掛り葵坂を登り霊南坂通り麻布市兵衛町
をよきり此道すからハ大破の家多く見ゆ六本木長谷川与
三郎か宅を問しにかの辺より西北ハ損所少し立かへり柴