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(右下の図の説明文)
浴恩園 御在時の図
変異は世の習いなれと殊に嘆くべきは浴恩園ならめここ御大
任のむかし恩賜の御邸とて年頃御心を劃され四時の眺め設けられ年
〇るままよい川しる花木〇けをなしされば〇てこそ御終身の地となし
〇ひされ然るる文政巳丑の春〇禄の災い罹り之とのを始め御園亭
迄尽(ことごと)く、灰滅したるのみにて年なる日ごろ〇て〇をぬひし樹木さへも亡
〇るなれ 御神逝の後、御殿造りる至りてはそのいみは倍増して廣〇〇〇
造り〇ひしゆへ千秋館のあ〇〇〇忽面〇〇〇し〇〇くて後まで花月亭
の〇〇りを馬場になされしここも又昔の面かげは露も残らず 年々に荒
れ〇つるを聞くるはけても御盛時を追思し奉るあまり 御隠棲の後 雲
と風と治る御代は草の庵住をけこえと月をみる哉と聞へ〇を〇いし御
殿の〇な御園の姿を画き侍る〇固より〇〇いなき身の〇りて名
園の壮観を写し〇べき拙〇いふへくもなるに志とてなれと御亭樹
を初め 木石なむをまて 各其の位置をこ〇へ〇御在時の姿を想
像し前写を捨て〇〇 再び図し侍れば百とせの後に至るとも感徳
録〇な〇〇見なば、天地自然の景を楽しみ〇〇い〇る御気韻
の広大御風雅をならせ〇いしを窺う一助
ならんと感徳録〇とり〇へて後孫に伝え侍りぬ
天保十三年壬寅暮秋十三日謹記
源茲奘
(天保13年は西暦1842年)