翻刻!九州大学の書物たち

コレクション: 漂流記コレクション

唐船漂流記 四 - 翻刻

唐船漂流記 四 - ページ 61

ページ: 61

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「右帳」 者謹申仲買に出?初鄭来宦か船に乗付少 く沖売して地方へ釣寄可申?心をつかはし 候為も鄭来宦早悟り遠沖へ乗出し仕但 不申故力に不及跡より漂来候余子玉を召捕 たるなり故鄭来宦物語り聞たる也 天農(二字消す)てのてのくら(ら)か婦と   聞人字に 写せは如左 天(てん)(左ルビてん)唯(をを)(左ルビ ここ)有(う)(左ルビ あり)頼(らい)〈左ルビ より)?(こう)〈左ルビ たのむ)  急場にて天の佑を 呼?と云意(一字消す)?(まま)也 只今の中華大清の世は其地を領する 「左帳」 主君とては無御座候皆悉康(かう)熈(き)帝より総督 軍門と申両檀代にて政会を行と小省なれは両省を 両檀代にて兼合す曾て其国との領主とには無御座 候皆是康熈帝より檀代職を中華十五省中 被居置と也 一 凌素言事於長崎其後聞合せ候に六七年已前 迄は長崎致入津唐人也能書にて長崎聖堂之 額杏檀之二字先年書たる唐人也て今其額有 之由 一 六月廿四日芦屋ゟ喜多村弥次兵衛御傍筒を差