翻刻
「右帳」
者謹申仲買に出?初鄭来宦か船に乗付少
く沖売して地方へ釣寄可申?心をつかはし
候為も鄭来宦早悟り遠沖へ乗出し仕但
不申故力に不及跡より漂来候余子玉を召捕
たるなり故鄭来宦物語り聞たる也
天農(二字消す)てのてのくら(ら)か婦と 聞人字に
写せは如左
天(てん)(左ルビてん)唯(をを)(左ルビ ここ)有(う)(左ルビ あり)頼(らい)〈左ルビ より)?(こう)〈左ルビ たのむ) 急場にて天の佑を
呼?と云意(一字消す)?(まま)也
只今の中華大清の世は其地を領する
「左帳」
主君とては無御座候皆悉康(かう)熈(き)帝より総督
軍門と申両檀代にて政会を行と小省なれは両省を
両檀代にて兼合す曾て其国との領主とには無御座
候皆是康熈帝より檀代職を中華十五省中
被居置と也
一 凌素言事於長崎其後聞合せ候に六七年已前
迄は長崎致入津唐人也能書にて長崎聖堂之
額杏檀之二字先年書たる唐人也て今其額有
之由
一 六月廿四日芦屋ゟ喜多村弥次兵衛御傍筒を差