翻刻
一 同四子二月三日願之通隠居被 仰付忰
志賀蔵江家督被下之数十年出精相勤
太儀之旨 御意被成下
一 病死
勤仕
忰
三瓶秀蔵
後 藤四郎
一 寛政三亥 御供方御中小姓御雇
勤被 仰付
一 同四子十一月朔日御合力三人扶持被下之
一 同九巳七月十四日病死
勤仕
養子
実安藤
三瓶志賀蔵
後 清右衛門
頼以君御代
一 寛政十午九月廿八日初而 御目見
一 同年十一月十五日御供方中小姓御雇勤
被 仰付御合力三人扶持被下之
一 享和四子二月三日養父森右衛門願之通
隠居被 仰付家督高六拾石三人扶持
無相違被下之御番方高之順席
一 文化元子三月十日御添書被 仰付
一 同年十一月廿三日
若殿様御側勤被 仰付御上屋敷引越
一 同四卯三月十三日
若殿様御側首尾能 御免帰番
一 同年五月十五日御普請奉行御武具奉行
兼帯御添書被 仰付
一 同五辰正月十五日御使番格被成下
奥様御附被 仰付
一 同七年九月五日依願御附
御免格席是迄之通
現代語訳
一 同四年子年(1804年)二月三日、願いの通り隠居を仰せ付けられ、息子志賀蔵に家督を下された。数十年出精して相勤め、大儀であるとの御意を成し下された
一 病死
勤仕終了
息子
三瓶秀蔵
後に藤四郎
一 寛政三年亥(1791年)、御供方御中小姓御雇勤を仰せ付けられた
一 同四年子(1792年)十一月一日、御合力三人扶持を下された
一 同九年巳(1797年)七月十四日、病死した
勤仕終了
養子
実家は安藤
三瓶志賀蔵
後に清右衛門
頼以君の御代
一 寛政十年午(1798年)九月二十八日、初めて御目見えした
一 同年十一月十五日、御供方中小姓御雇勤を仰せ付けられ、御合力三人扶持を下された
一 享和四年子(1804年)二月三日、養父森右衛門の願いの通り隠居を仰せ付けられ、家督として高六十石三人扶持を相違なく下され、御番方高之順席となった
一 文化元年子(1804年)三月十日、御添書を仰せ付けられた
一 同年十一月二十三日、若殿様の御側勤を仰せ付けられ、御上屋敷に引越した
一 同四年卯(1807年)三月十三日、若殿様の御側を首尾よく御免となり帰番した
一 同年五月十五日、御普請奉行・御武具奉行兼帯・御添書を仰せ付けられた
一 同五年辰(1808年)正月十五日、御使番格を成し下され、奥様御附を仰せ付けられた
一 同七年(1810年)九月五日、願いにより御附を御免となり、格席はこれまでの通りとした