翻刻!江戸の医療と養生

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(養生教訓)医者談義 5巻 - 翻刻

(養生教訓)医者談義 5巻 - ページ 25

ページ: 25

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飯椀(いひわん)の蓋(かさ)で■【たヵ】つさせます頭をそれといへば髪(かみ)おし みして月に一度も押(おし)てとらへて剃(そり)ますればはね まわりて是非(ぜひ)なく剃刀疵(かみそりきづ)がたへませぬこなたの子息(しそく)て ござれども何ともならぬあん■■【ばくヵ】者けれとも愚僧(くそう)が弟(で) 子(し)にいたしたれば不便(ふびん)に存(そんじ)年たけ成長(せいちやう)したらばよく ならんとだましすかしてそだてますと涙(なみだ)おとして 語(かたり)たまへば父(ちゝ)けうさめて小僧(こぞう)が口と大ちがひいひわけな くして帰(かへ)りしといふ世俗(せぞく)の諺(ことわざ)に和尚(おしやう)が和尚(おしやう)なれば小(こ) 僧(ぞう)が小僧(こぞう)とは片口問答(かたくちもんどう)をいましめたる古事(こじ)なり鈴木(すゞき)が 奥州(おうしう)くだりは義経(よしつね)は都(みやこ)より舟路(ふなぢ)よりこられしに大物(だいもつ)の 浦(うら)にて悪風(あくふう)にあい北国越(ほつこくごへ)に奥州(おうしう)へ三十 余日(よにち)で着(ちやく)せら れしに鈴木(すゞき)は跡(あと)じまいして京(きやう)かまくらの様子(やうす)聞合(きゝあはせ) せこゝかしこに遅滞(ちたい)逗留(とうりう)して東海道(とうかいだう)を七十五日かゝ りて奥州(おうしう)につきしとなり是月日を経(へ)て善悪(ぜんあく)の 表裏(へうり)を聞定(きゝさだ)むるの法(ほう)なり又 防州(ばうしう)の計略(けいりやく)に石地蔵(いしぢぞう)の木(も) 綿(めん)をぬすまれしを町内(てうない)数月(すげつ)の張番(はりばん)に困窮(こんきう)して終(つい)に盗人(ぬすびと) あらはれしは遷延(せんゑん)と日数(ひかづ)を経(へ)しゆへしれがたき盗賊(とうぞく)を 出(いだ)されたり医(い)の治法(ぢほう)も此通り仲景の立法は大法なり

現代語訳

飯椀の蓋で叩かせます。頭のことを言えば、髪を惜しんで月に一度も押さえて捕らえて剃らせようとすれば跳ね回って、仕方なく剃刀傷が絶えません。こちらのご子息でございますが、何ともならない暗愚な者ですけれども、愚僧の弟子にいたしましたので不憫に思い、年を取って成長したらよくなるだろうと騙し賺して育てております」と涙を落として語られれば、父は恥じ入って「小僧の言い分と大違いだ」と言い訳もなくして帰ったという。 世俗の諺に「和尚が和尚なれば小僧が小僧」とは、片方だけの言い分による問答を戒めた古い話である。鈴木の奥州下りとは、義経は都より船路で来られたが、大物の浦にて悪風に遭い、北国越えで奥州へ三十余日で到着されたのに対し、鈴木は後始末をして京都・鎌倉の様子を聞き合わせ、あちこちに遅滞逗留して東海道を七十五日かかって奥州に着いたということである。これは月日を経て善悪の表裏を聞き定める方法なのである。 また防州の計略で、石地蔵の木綿を盗まれたのを町内で数か月の張り番に困窮して、ついに盗人が現れたのは、遷延と日数を経たゆえに知れがたき盗賊を出したのである。医の治法もこの通りで、仲景の立法は大法なのである。